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自分を知るということ

樹心会々員からのお便り 4

 若きT君へ。自分を知るということに関して。人類は、地球を離れ、宇宙へ出ることによって宇宙の方から逆方向に地球全体を見る経験を持つことができた。人が自分を知るというのも、これと似ているのではないか、と考えているのです。

 人は自分の意識を使って、自分自身(実はこれ意識の内容物)を見極めようとするが、これは右手で右手を掴もうとするようなもので、とうてい不可能だと思うのです。結局、自分を知ると言っても、自分に〈ついてのイメージ〉を自分〈そのもの〉と錯覚しているのでしょう。

 私たちは、自分もちの意識そのものを、あたかも主人のように崇め、意識に表れ出た“思い”を真実と執着して、頭(=意識・分別)でこしらえた現象に振り回されて(六道輪廻して)生きている。しかし、主人とも頼む意識そのものが、無明・煩悩に巧妙に操られている事実-意識の虚妄性-に気づけば、意識の内容物たる“思い”にとらわれることもなくなるでしょうが、そのためには一度、意識そのものを離れ、意識全体が相対化される必要があるのだと思うのです。それはちょうど、人類が地球を離れることによって初めて、地球とはなにかを知ったように……です。

 この意識のとらわれを離れる自己超越の体験を親鸞は「横超」と読んでいますが、一切を超えた絶対者の前に、相対有限なる“自分”が明らかになる事態を「弥陀の心光摂護して、ながく生死をへだてける」とも親鸞は和讃しています。

 1993-4-1
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by zenkyu3 | 2017-03-11 09:22 | 樹心会々員からのお便り | Comments(0)