いま・ここ・このまま 七

 人生の到達点は〈いま・ここ・このまま〉。これを知るために人は迷いの旅をするのか。迷いに迷いつめ、途方に暮れ果てて、ふと、なに不自由なく、なにひとつ欠け目なくそなわる生存の事実に気がつく。ああ、なんという遠回りか。〈このまま〉であることには、何の努力も、特別の思索力もいらない、自ずからそうなっている。実に簡単なこと。たとえ、いかなる迷いに沈んでいようと、それもまた〈あるがまま〉であるから、あえて“こうなければならない”というようなものは、一切ない。

 自己所有への渇くような執着、自分が正しく人が許せない怒りの心、己の境遇への不平不満と社会への義憤、人の成功が面白くない妬み等々と、始め知らぬ昔から、ねじ曲がった根性で生きているから、悪習が宿痾のように凝り固まり、その習いに深く染まっている。積み上げた悪習・業の果報からは絶対に逃れられない。まこと迷いは凡夫の地体だ。

 〈このまま〉というのは、現に誰もがそのように生きているし、誰にも可能なことである。しかし、可能であるということと、自覚するということは、越えられぬ違いがある。〈いま・ここ・このまま〉が常に人生の到達点であるという自覚は、一時の気分や心構えなどではない。時や空間の有限相を超えた空性に触れて、心の描きだす世界の世界の無常性を知り、一切が因縁和合の仮の相と了解する、そこに仏智・法の眼を得るということがある。迷いを抱いたままの、何恐れることなく煩悩にまみれて生活する心の自由と安心があるのでしょう。

 1994-4-1
by zenkyu3 | 2017-03-16 00:18 | 樹心会々員からのお便り | Comments(0)