仏の眼差し 三

 仏は、この私をどう見ておられるのか-。親の目、教師の目、ライバルの目。叱責の目、愛情の目、軽蔑の目-様々な視線に出会って人生を生きてきた。数多くの視線の先に、様々な顔をした私がいた。愚図であったり、変り者であったり、健全な常識人であったり、と。けれど、どの眼の中にも本当の私はいなかった。本当の私であることを見失ったまま、生涯の大半を過ごした。そして、生きる意味もわからず、力で世間を生き抜こうと意を固めた矢先に、仕事に大きく挫折した。そんな時、仏法に出会った。

 聴聞するうちに、私を見つめる“ある視線”に気づいた。その視線が心を離れなくなった。その眼は、いままで出会ったどの眼よりも厳しいように思えた。ただ、本当の私の姿を見てくれているような親しみも感じ、やがて信頼感が生まれた。その眼は、心の凍えた我が子を哀れむ母親のような眼でもあったと思う。苦しむのはもうやめなさい、つくろうことはやめ、一切を許し、任せることをしなさい、と。しかし、私は、任せることに異常な不安を感じ、それは、殆ど不可能に思えた。いや、なにより、その眼は私の心の中の“つくりもの”にすぎないのではないか、という疑心が離れなかった。確信がなかった。

 だが、ある日突然、阿弥陀仏が私の姿を発見した。その視線の先に、ハッキリと私の姿が存在した。間違いのない本当の私と、阿弥陀仏に出遇う。初めて、私の“思い”を超えた真実に出遇う。

 1992-1-23
by zenkyu3 | 2017-03-10 11:57 | 樹心会々員からのお便り | Comments(0)