六道の因亡じ輪回の果滅す

 光明寺の和尚の云わく、もろもろの行者に白さく、凡夫生死、貪して厭わざるべからず。弥陀の浄土、軽めて欣わざるべからず。厭えばすなわち娑婆永く隔つ、欣えばすなわち浄土に常に居せり。隔つればすなわち六道の因亡じ、輪回の果自ずから滅す。因果すでに亡じてすなわち形と名と頓に絶うるをや。

(教行信証・信巻「般舟讃」引用部分)

 煩悩が見る迷いの世界を六道という。智慧が見る悟りの世界を涅槃という。「煩悩即菩提」というように、心は因縁により煩悩にもなれば菩提心にもなる。煩悩が因となって果としての生死が現れる。智慧が因となって果としての涅槃が開ける。迷うには迷うだけの因縁があり、悟るには悟るだけの因縁がある。すべては因縁です。よって、もし娑婆が見えたら、それは浄土に生まれた。智慧の光が生じると煩悩の闇が見える。浄土の方から娑婆が見える。見えるようにして救うのが仏の慈悲だから、煩悩が智慧に転ずれば、六道の因が滅する。因がないから輪廻の果も滅する。迷いに迷いの因果があり、悟りに悟りの因果がある。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-10-08 05:14 | 教行信証のこころ | Comments(0)