愛欲の広海に沈没し

 誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし、と。

(教行信証・信巻「御自釈」部分)

 これが現生不退の内面の事実です。われらは煩悩具足の凡夫だから煩悩はなくならない。なくす努力すらしたことがない。煩悩はいわば本能だから凡夫には「断じる」ことはできない。仏力に乗じて、煩悩はそのままに、煩悩を「離れる」ことを教えるのが他力の道です。だから、煩悩はまるごとそのままです。それを「不断煩悩得涅槃」という。智慧があるから煩悩が見える。光があるから影ができる。影を悲しむのは光があるからです。これを「現生不退」という。親鸞が自らの身の事実をもって現生不退の内面を明らかにしてくれた。

 南無阿弥陀仏
Commented by ルネッサンス at 2018-10-07 20:57 x
いつの間にかプロフィールが「定年退職者」になっていました。時々ブログに書かれていましたが大変なサラリーマン生活だったのではないでしょうか、といっても善及様にとって世間のことなどどうでもいいことでしょうが。暫くゆっくりお体を休めてください。
私はといいますとまだ命がけになり切れない、命の懸け方が足りない、そんなところです。私ももう時間はないのですが。南無阿弥陀仏
Commented by zenkyu3 at 2018-10-07 22:15
> ルネッサンスさん
この命がいつ終わるかは知りませんが、仏法に出遇えた生涯であったことはなによりでした。一生をかけるつもりはなかったけれど、遊びに夢中になって家に帰る時間をすっかり忘れてしまった子供のような気持ちです。夕闇が迫って、一日が終わってしまいそうですが、楽しかったからよかったのではありませんか。善及
by zenkyu3 | 2018-10-07 05:38 | 教行信証のこころ | Comments(2)