歎異抄・第五章(2)

 親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。いずれもいずれも、この順次生に仏になりて、たすけそうろうべきなり。わがちからにてはげむ善にてもそうらわばこそ、念仏を回向して、父母をもたすけそうらわめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道四生のあいだ、いずれの業苦にしずめりとも、神通方便をもって、まず有縁を度すべきなりと云々

(歎異抄・第五章)

 第五章の質問者は父母の供養を問題にしているようで、実は、自分が死んでどこへ行くかがわからない。だから、こんな質問の仕方をする。少しでも法を聞けばこんな質問はしない。それがわかるから親鸞は「親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」と、別に嫌がる風もなく、さらりと先祖供養を否定する仏教の立場を示す。そのうえで「この順次生に仏になりて」と、父母のことより、まずは自分が救われなさいと教えた。すなわち「ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば」と他力の念仏に帰するように勧めたのです。第五章は方便の教えです。どのような人にも理を尽くして法を説く親鸞の、念仏してくれよのお心が伝わってくる法語です。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-10-06 05:59 | 歎異抄を読む | Comments(0)