歎異抄・第十一章(4)

 誓願の不思議によりて、たもちやすく、となえやすき名号を案じいだしたまいて、この名字をとなえんものを、むかえとらんと、御約束あることなれば、まず弥陀の大悲大願の不思議にたすけられまいらせて、生死をいずべしと信じて、念仏のもうさるるも、如来の御はからいなりとおもえば、すこしもみずからのはからいまじわらざるがゆえに、本願に相応して、実報土に往生するなり。

(歎異抄・第十一章)

 この書の作者は前半の「御物語十か条」を背景に後半の「異義八か条」を展開する全体構想を持っていたろうから、最初の三章、すなわち第十一章は第一章とはっきりした対応関係がある。第十二章は第二章と対応しており、第十三章は第三章に対応がみられる。それ以外ははっきりしない。とくに、第十一章は第一章の「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」をそのまま書き移したかのようです。第一章では信の一念に智慧が生ずる体験を明らかにしているが、第十一章はそれに対応するように、「念仏のもうさるるも、如来の御はからいなりとおもえば」「実報土に往生するなり」と信を取る方法が具体的に示されている。この書に教えられているように聴聞すれば信を取る。信を取る覚悟で『歎異抄』を読んでほしい。

 南無阿弥陀仏

*9月18日~36回

by zenkyu3 | 2018-11-06 05:58 | 歎異抄を読む | Comments(0)