歎異抄・第九章(1)

(1)「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」と、もうしいれてそうらいしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。(2)よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。(3)また浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ。なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ。(4)踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と云々

(歎異抄・第九章)

 第九章は四節に分ける。第一節は唯円の二つの質問が提示される。第二節は唯円の質問一への親鸞の回答、第三節は唯円の質問二への親鸞の回答です。そして第四節で親鸞は唯円の質問への結論を示している。それでは唯円は親鸞にどんな質問をしたか。まず、唯円の質問の一は「踊躍歓喜のこころおろそかにそうろう」で、踊躍歓喜の体験が本物だったか不安になってきたというもの。質問の二は「いそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは」で、あまりにもお粗末な心が露わになって、こんな心で往生できるか不安になってきたというもの。質問の一への親鸞の回答は「煩悩の所為なり」です。質問の二への回答もまた「煩悩の所為なり」です。そして、第四節で親鸞はまとめの回答を示します。どんな回答か。「踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と。唯円は煩悩がなくなりませんと訴えた。親鸞はなくならなくて当然だと答えた。「親鸞もこの不審ありつるに」と、信仰の危機は信心の人が必ず通る道だと教えていただいたことと、なにより、親鸞に信心を認めてもらったことに唯円は感激した。その喜びは生涯続いていて、それを第九章に残した。

 南無阿弥陀仏 

by zenkyu3 | 2018-10-18 05:37 | 歎異抄を読む | Comments(0)