歎異抄・第四章(2)

 慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々

(歎異抄・第四章)

 『教行信証』に云わく、「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり」と。すなわち、往相とは自利であり、還相とは利他のことです。第四章では利他行について「浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり」と述べている。これだけ読むと今生には利他がないようだが、そうではない。「二種の回向あり」と親鸞が教えているように、自利が回向であるなら、利他の働きに出るのもまた回向、仏の御促しだから利他というのであり、自利も利他も自分の手柄ではないから「二種の回向あり」という。自利の成就なくして利他はなく、利他の成就なくして自利もないのが仏道です。もちろん、仏のように「おもうがごとく衆生を利益する」ことなどできませんが、なんとか他に仏心を伝えたいと願っている。

 南無阿弥陀仏
by zenkyu3 | 2018-10-04 05:53 | 歎異抄を読む | Comments(0)