歎異抄・第一章(1)

 (1)弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。(2)弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。(3)しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々

(歎異抄・第一章)

 第一章から第十章までは親鸞の言葉が並んでいるが、この語録の通りに親鸞が話したとは思わない。作者が常日頃、親鸞から聞いていたことを書き留めていた古いノートを整理し、意図に沿って編集、配列したと見るのがよい。この書には親鸞の主著である『教行信証』からの引用がなく、むしろ『観経』に依拠するなど、全体的に親鸞の教えより古臭い印象がある。ただ、親鸞の肉声を伝えるのはこの書だけで、真宗を学ぶわれらには親しみが深い。

 さて、第一章を俯瞰すると内容的に三節に分けられる。第一節は十八願文の趣旨を引き、智慧を与えて救うのが弥陀の本願であることを明らかにした。では、弥陀の本願の目当ては誰なのか。それは悪を造るしかできない罪悪深重煩悩熾盛の衆生、すなわち、わたしであると明らかにしてくださったのが第二節です。そして、最後に第三節において現生不退の生活の内面を明らかにしてくださった。第一章は全体として真宗の眼目を明らかにしようとの意図があるが、これだけ簡潔にまとめる作者の筆力に驚かされる。しかも、それを親鸞に語らせている。

 南無阿弥陀仏

by zenkyu3 | 2018-09-19 05:01 | 歎異抄を読む | Comments(0)