二河白道(2)

 この人すでに空曠の迥なる処に至るに、さらに人物なし。多く群賊悪獣ありて、この人の単独なるを見て、競い来りてこの人を殺さんと欲す。死を怖れて直ちに走りて西に向かうに、忽然としてこの大河を見て、すなわち自ら念言すらく、「この河、南北辺畔を見ず、中間に一つの白道を見る、きわめてこれ狭少なり。二つの岸、あい去ること近しといえども、何に由ってか行くべき。今日定んで死せんこと疑わず。正しく到り回らんと欲すれば、群賊悪獣漸漸に来り逼む。正しく南北に避り走らんと欲すれば、悪獣毒虫競い来りて我に向かう。正しく西に向かいて道を尋ねて去かんと欲すれば、また恐らくはこの水火の二河に堕せんことを。」

(教行信証・信巻「観経疏」引用部分)

 ごく稀に真面目に仏法を聞く人がいる。宿縁というものだろうか。しかし、善知識にはなかなか会えない。我心が出会いを邪魔する。善知識、法友のいない「空曠の迥」を一人歩む長い旅は心の底まで寂しい。しかし、孤独に堪える一人旅が信仰心を育て、心を知らず知らずに浄化している。仏道を歩む者にはいらないもの、世間のありふれた楽しみや家族や友をもつ喜びを捨てて、われを導いてくれる仏の声だけを便りに旅するうちに足は自ずと西に向かっていた。念仏の行者はようやく「白道」を見つけたのです。旅が終わろとしている。念仏する人は多いが、ここまでたどり着く人は少ない。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-09-10 05:19 | 教行信証のこころ | Comments(0)