是心作仏、是心是仏

 『論の註』に曰わく、かの安楽浄土に生まれんと願ずる者は、発無上菩提心を要す、とのたまえるなり。

 また云わく、「是心作仏」は、言うこころは、心よく作仏するなり。「是心是仏」は、心の外に仏ましまさずとなり。譬えば、火、木より出でて、火、木を離るることを得ざるなり。木を離れざるをもってのゆえに、すなわちよく木を焼く。木、火のために焼かれて、木すなわち火となるがごときなり。

(教行信証・信巻「論註」引用部分)

 「この心、作仏す。この心これ仏なり」は『観経』の第八像観に典拠があります。「この心」とは「無上菩提心」、すなわち「智慧」のことで、智慧の働きを「これ仏なり」と示しています。智慧の働きを「木、火のために焼かれて、木すなわち火となるがごときなり」と喩え、煩悩の木を焼き尽くすのが智慧の火の働きであると教えています。すなわち、信の一念に智慧を得て、智慧の働きにより心と物への執着が落ちていく。この方向が仏への道で、執着が落ちて行くほどに智慧の働きがはっきりして、さまざまな功徳を受けるのです。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-08-16 05:11 | 教行信証のこころ | Comments(0)