三塗苦難ながくとじ

 三塗苦難ながくとじ
 但有自然快楽音
 このゆえ安楽となづけたり
 無極尊を帰命せよ

 (讃弥陀偈讃-44)

 『無量寿経』に云わく、「清浄・離欲・寂滅・真実の義に随順し、三宝・力・無所畏・不共の法に随順し、通慧、菩薩・声聞所行の道に随順し、三塗苦難の名あることなし。但自然快楽の声あり。このゆえにその国を名づけて安楽と曰う」と。執着する心には不安と恐怖がある。求めて得られないから「三塗苦難」というが、智慧の光に照らされて、求めても得るものがないと知れば執着は落ちていく。無執着の心を「仏」といい、その境地を「安楽」という。

 南無阿弥陀仏

Commented by kk at 2018-08-08 02:07 x
意識に上るか上らないかは別にして、「出来なかったらどうしよう」という思いを抱かずに何かをしようとする事は無理なんだな、それらは常にセットなんだな、と感じます。
決まっていない未来を頭のなかでだけ無理矢理固定しようとして、そわそわして、結局はその時が来るまで落ち着くことがないです。
来るものを受け取る、来るものを受け取るという態度が大切なんだな、と思います。
Commented by zenkyu3 at 2018-08-08 09:08
> kkさん
「来るものを受け取る」というのは大人の態度でしょうね。こうなりたい自分、こうあってほしい現実、みな思惑があって生きている。思惑どおりだとうれしい。しかし、思惑どおりでないのも人生で、起きたことは、それもまた人生の一部として受け入れて生きて行くのでしょう。受け入れられない事実に出会うのは受け入れられない自分に出会うという意味があります。事実に問題はなく自分に問題があると、そうひっくり返します。人生が深くなるのではないでしょうか。善及
by zenkyu3 | 2018-08-07 05:52 | 三帖和讃のこころ | Comments(2)