自余の九方の仏国も

 自余の九方の仏国も
 菩薩の往覲みなおなじ
 釈迦牟尼如来偈をときて
 無量の功徳をほめたまう

 (讃弥陀偈讃-31)

 『東方偈』に云わく、「その仏の本願の力、名を聞いて往生せんと欲えば、みなことごとくかの国に到りて、自ずから不退転に致る。菩薩、至願を興して、己が国も異なることなからんと願ず」と。法蔵菩薩が建立した安楽仏土は智慧を伝える方便としてこれ以上のものがないと、東南西北・四維・上下、すべての仏土の、すべての仏菩薩が讃えるというのです。浄土に往生すれば「己が国も異なることなからんと願ず」と、すべての菩薩が大悲を起こす。

 南無阿弥陀仏


Commented by ナナシ at 2018-07-31 05:54 x
すべての菩薩が大悲を起こすのお言葉、ありがとうございます。己が国とは自らが関わる場所でありましょう。菩薩方は浄土を具体的現実に表現しようとしておられるように頂きました。南無阿弥陀佛
Commented by zenkyu3 at 2018-07-31 06:51
> ナナシさん
初めて竹内先生をお訪ねしたとき、このお寺には真実があると感じたことを憶えています。竹内先生のようなお方がおられることが仏教の真実を証明しているのでしょう。竹内先生からはいろいろなことを教えていただきましたが、教えていただいたことより、先生がそこに存在しているということがなにより大事でした。わたしもそうなりたいものです。善及
Commented by ナナシ at 2018-07-31 07:30 x
善及さんの言葉を拝見して、維摩経の雷の如くなる一黙が浮かびました。ことばは虚構であり、実体を伴うものではありません。故に菩薩はことばに頼らず、竹内先生のように存在をもって浄土を表現しようとされたし、現実に今もしているのでしょう。自分も末席でもいいから、そういう一隅を照らす者になりたいと願います。南無阿弥陀佛
Commented by zenkyu3 at 2018-07-31 13:45
> ナナシさん
竹内先生を初めてお訪ねしたのが三十五の時の十月ですからもうじき三十年になります。もうじき年金生活ですが、人並みに家族を養い、会社生活のいろいろも経験し、あとは病を得て死ぬばかりですね。人生のほとんどのことは忘れてしまいました。生きていればしなくてはならないこともありますが過ぎてしまえばどうでもよいことです。仏に恋をして仏法のことだけがずっと続いてきました。ありがたいことです。このブログは難しいけれど、読んでくださる方がおられるのは頼もしいことです。善及
by zenkyu3 | 2018-07-25 06:01 | 三帖和讃のこころ | Comments(4)