2018年 07月 17日
十方諸有の衆生は
阿弥陀至徳の御名をきき
真実信心いたりなば
おおきに所聞を慶喜せん
(讃弥陀偈讃-23)
親鸞は「慶喜」に「シンヲエテノチニヨロコブトナリ」と左訓している。執着するから捨てられない。捨てられないから苦しむ。捨てられれば楽だが、捨てられるくらいなら執着とはいわない。執着するものは人によって違うが、自分の心を喜ばせたい、満足させたいというのでしょう。仏教では「我執」という。心を心に縛りつけていた執着の綱を切ってくださるので「真実信心いたりなば」といい、心が心から解脱して自由になるので「慶喜」という。
南無阿弥陀仏
by zenkyu3
| 2018-07-17 05:39
| 三帖和讃のこころ
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