十方衆生のためにとて

 十方衆生のためにとて
 如来の法蔵あつめてぞ
 本願弘誓に帰せしむる
 大心海を帰命せよ
 
 (讃弥陀偈讃-16)

 『浄土和讃』に云わく、「信心よろこぶそのひとを/如来とひとしとときたまう/大信心は仏性なり/仏性すなわち如来なり」と。智慧の働きを「仏性」という。心の闇を見えるようにしてくださるから智慧を光という。光があるから目が見る。だから、自分の心が見えたら、それが光に遇ったことです。智慧の働きは仏性として一切衆生に内在しているので、智慧を自覚すれば仏になる。今は、ぶ厚い煩悩に覆われてはいるが、聴聞するうちに仏性が輝き出る。

 南無阿弥陀仏


Commented by kk at 2018-07-12 11:07 x
私は今何を考えているんだろう?感じているんだろう?そう思って心を観察しようとするのですが、考えたくないこと、感じたくないことばかりなのか、自分が一体何を考えているのか、感じているのか、実は全然分かりません。

それでいて分からないまま、漠然とした心の影にだけ反応して口で喋り、動くので、後悔する事ばかりです。
Commented by zenkyu3 at 2018-07-12 13:01
> kkさん
自分の心を観察するのはなかなか難しい。そんなことをしても意味がないと思うからです。しかし、見えない心に操られて生きているだけだとしたら、それで果たして人間といえるだろうか。地獄、餓鬼、畜生を三悪道といいますが、三悪道に堕ちずに、このたび人間に生まれた意味はなにかといえば、人間だけが仏法を聞くことができるということです。心という悪魔に取り憑かれていることに気づいて、心から自由になるために心を観察するのですが、心の悪魔は見られることを嫌う。だから、人は心を見る勇気がなかなか起きない。善及
by zenkyu3 | 2018-07-10 06:06 | 三帖和讃のこころ | Comments(2)