依釈段・結勧(2)

 (原文)
 道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説
 (読み方)
 道俗時衆、共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべし、と。
 (正信偈-60)

 『高僧和讃』に云わく、「釈迦弥陀は慈悲の父母/種種に善巧方便し /われらが無上の信心を/発起せしめたまいけり」と。宿業の身には煩悩だけでなく「信心仏性」が埋め込まれています。この身は無始劫以来の宿業の蓄積で、煩悩は雑多ですが、仏性は一つで、その働きは永遠に変わらない。どのように働くかというと、煩悩を離れ、煩悩の影響を受けないように働くのです。さて、以上で『正信偈』六十行、百二十句を読み終わりました。

 南無阿弥陀仏

Commented by 畑のかえる at 2018-06-23 14:14 x
こんにちは。
もう一度、最初から読み直させていただくつもりです。
ほんとうにありがとうございました。
Commented by zenkyu3 at 2018-06-23 17:14
> 畑のかえるさん
熱心に読んでくださっている方もおられるようです。真宗は聴聞につきるといいますが、聴聞が光です。聴聞するほどに自分の心が見えてくるでしょう。自分の心が見えることが救いです。みな自分のことは解っていると思っているのでしょうが、そうではないのでしょう。なにか勉強でもする気持ちで聴聞してもなんの役にも立たない。なぜなら、智慧とは「なにかを知っている」ということではなく「自分の心が見えている」ということだからです。善及
by zenkyu3 | 2018-06-23 06:00 | 正信偈のこころ | Comments(2)