依釈段・源空章(2)

 (原文)
 真宗教証興片州 選択本願弘悪世
 (読み方)
 真宗の教証、片州に興す。選択本願、悪世に弘む。
 (正信偈-56)

 『観経疏』に云わく、「一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥に、時節の久近を問はず、念々に捨てざる者は、是を正定の業と名づく、彼の仏願に順ずるが故に」と。法然は四十三歳の時、この一文に出会って回心したと言われています。「彼の仏願」とは十八願です。「わたし」が称える自力の念仏から「仏」が称える他力の念仏へと念仏の主体が転ぜられる。主体が「わたし」から「仏」へと転ぜられる働きこそが阿弥陀仏の「選択本願」です。

 南無阿弥陀仏


Commented by ナナシ at 2018-06-19 20:09 x
順彼仏願故故に如来の仰せに従い、ただ念佛聞くばかりで往生させて頂くとは、不可思議の誓願であります。今はただ念佛聞くばかりで満足であり、念佛が聞こえて下さる以外に何もありません。南無阿弥陀佛
Commented by 畑のかえる at 2018-06-20 06:52 x
おはようございます。お釈迦様のみ教えを伝えた七高僧から親鸞聖人まで。
①龍樹、150年頃~、『中論』『大智度論』『十住毘婆沙論』、大乗仏教の大成者。真宗は『般若経』を読まないが、大乗の根本は「空」で死後の浄土にしない。②天親、300 年頃~、唯識思想の大成者、『大無量寿経』の注釈『浄土論』。③曇鸞(476-542)、『浄土論』の注釈『浄土論註』、浄土教を確立。親鸞教学は曇鸞の「回向」の教えの上に成り立っている。④道綽(唐562-645)、曇鸞の碑文を見て浄土教に、弟子善導に『観無量寿経』を教え、以後『観経』が浄土教の中心に。⑤善導(613-681)、中国浄土教思想の大成者、『観経疏』。それまで聖道門の立場でしか読まれなかった『観経』を浄土門の立場から根本的に読みかえた。⑥源信(942-1017)、日本浄土教の祖、『往生要集』。⑦法然(1133-1212)、『選択本願念仏集』。
親鸞(1173-1263)『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)完成寛元5年(1247年)。
貴ブログ記事をコピペさせていただきました。今朝もありがとうございました。
Commented by zenkyu3 at 2018-06-20 09:00
> ナナシさん
二ヶ月かけてゆっくりと『正信偈』を読んでまいりましたが、あと三回まで来ました。読んでくださる御同行がおられるので続いています。次は『讃阿弥陀仏偈和讃』四十八首を読もうと思っています。限りある命に限りない命の声を聞く。永遠不滅の命に触れてこそ限りある命に安立できる。仏のお育てを喜んでください。善及
Commented by zenkyu3 at 2018-06-20 09:29
> 畑のかえるさん
仏法が人類の歴史に顕れたのは釈尊のご恩ですが、信じる力でさとりの智慧が輝きでることを発見したのは七高僧の歴史です。われらはその歴史の御恩があって念仏することができています。限りある命を生きていますが、限りある命は見捨てられた命ではないことを永遠不滅の命が教えてくれました。善及
Commented by ナナシ at 2018-06-20 21:56 x
永遠不滅の命、無量寿如来のおはたらきが念佛となって今聞こえて下さることに深く感謝致します。そして、共にこの娑婆で佛の教えを尋ねた方、尋ねている方々がましますこと、有難く存じます。南無阿弥陀佛
Commented by zenkyu3 at 2018-06-21 06:57
> ナナシさん
無限と有限といいますが、無限は有限とは対立しない。無限は有限を超越して、しかも有限に臨んでいる。これは有限の身からは出てこない知見であるから無限からいただいたというのでしょう。無限を知るから有限ということがわかる。無限を知ったらもう有限にはとどまれない。身は有限にあるが心は無限に転位している。善及
by zenkyu3 | 2018-06-19 06:06 | 正信偈のこころ | Comments(6)