依釈段・善導章(4)

 (原文)
 与韋提等獲三忍 即証法性之常楽
 (読み方)
 韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむ、といえり。
 (正信偈-50)

 量深師に教えを乞う。「心が落ち着いて、どんな事があっても、どの様な逆境があっても、心が落着き得るようになった。それは、心が生死を超えた世界に生きておる。そういう心の生活を無生法忍という」(津曲敦三著『親鸞の大地』)と。ありのままの事実を受け入れて、しかも事実から自由である。これを「信心」という。信に立つには「このまま」の天然ではだめで、「このまま」が一度は全否定されて、再び「このまま」に還るということが必要です。

 南無阿弥陀仏



Commented by ルネッサンス at 2018-06-13 15:26 x
久しぶりといわれてドキッとしました、コメントは年明け以来でした、仕事プラス主婦業もやらなければならなくなってあっという間の半年でした。
最初の「このまま」は結局「私」をどうにかしようというこのままで、昨日も書きましたが保身ですね。
なかなか愛おしい自分を捨てられません、まだまだ難行の日々です。
南無阿弥陀仏
Commented by zenkyu3 at 2018-06-13 16:17
> ルネッサンスさん
法を聞けるということは光の中にいるということです。聞法生活が光です。念仏を称えるようになったとは実に稀なことです。ここまで仏にお育ていただいたことを思い出してください。光に照らされているから見えなかったことが見えてきた。そうではないでしょうか。善及
by zenkyu3 | 2018-06-13 06:07 | 正信偈の教え | Comments(2)