依釈段・善導章(3)

 (原文)
 行者正受金剛心 慶喜一念相応後
 (読み方)
 行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、
 (正信偈-49)

 『高僧和讃』に云わく、「真心徹到するひとは/金剛心なりければ/三品の懺悔するひとと/ひとしと宗師はのたまえり」と。法を聞くほどに自分の心が見えてくる。こんな心では救われないとわかってくる。目から血を流すほどの懺悔をしても、嘘の懺悔にしかならないのが凡夫というものです。そんなことはお見通しだから、懺悔の心までも回向してくださるのが仏のお慈悲です。だから、光と影の如く、信心の喜びには必ず深い懺悔の心がともなっている。

 南無阿弥陀仏



Commented by ルネッサンス at 2018-06-12 21:34 x
善及様の記事には懺悔とか頭が下がるといった言葉が何度も出てきます、正直何に対して懺悔し何に対して頭を下げるのか分からなかった、仏様の心の中で仏様に対して頭が下がるのかなと、ふとそんなふうに感じました。「私の心」でいくら懺悔や内観してもだめですね行きつくところは保身で、そこで止まってしまいます。
早く本当の懺悔が出来るようになりたい。
南無阿弥陀仏
Commented by zenkyu3 at 2018-06-12 23:03
> ルネッサンスさん
久しぶりですね。お元気でしたか。どうしても「わたしから」になってしまう。「仏から」にひっくり返らない。自分にしがみついているからひっくり返らない。善及

by zenkyu3 | 2018-06-12 06:02 | 正信偈の教え | Comments(2)