依経段・結誡(2)

 (原文)
 信楽受持甚以難 難中之難無過斯
 (読み方)
 信楽受持すること、はなはだもって難し。難の中の難、これに過ぎたるはなし。
 (正信偈-22)

 「信心開発」を説き終わり、最後に「信楽受持すること」は極めて難しいと総括する。誰にとって「難中之難」かといえば「邪見憍慢悪衆生」にとって難しい。「自分」を持っている人は法を聞かないからです。「自分」があらゆることに首を出し、自業自得で苦しんでいながら「自分」はいつも悪くない。これが竹内先生が教えてくれた「自己保身の知恵」です。仏のお心を感得することは難しくない。「自分」が難しくしている。そのことに気づけよ、と。

 南無阿弥陀仏


Commented by 畑のかえる at 2018-05-28 05:35 x
おはようございます。
いつもありがとうございます。
二句ごとに構成されていることを学びました。
「なんちゅううしいなんむかーし」この響きが良いです。
それと、「ちゅうかじちいきしちこうそう」のところで調子が変わるのはどういう意味なのでしょうか。
ヘンなこと書いてすみません。
Commented by zenkyu3 at 2018-05-28 12:57
> 畑のかえるさん
「声明」(しょうみょう)は伝統の節回しですから、理由などあるのでしょうか。よく知りません。「難中之難無過斯」とありますね。仏法が難しいのは心が素直でないからでしょう。生存競争の娑婆で素直になれば生きていけないから、親兄弟、他人に対して素直になってはいけない。そこそこに対応しておけばいい。しかし、仏のみ前だけでは素直にならなくてはならない。まして、嘘はよくない。どんな一日であれ、一日が終わった時に仏さまの前に出て「今日のわたしはどうでしたでしょうか」とお聞きすれば、きっと、いろいろと教えてくださるに違いない。一日に一度くらいなら仏さまのことを思い出せるのではないだろうか。善及


by zenkyu3 | 2018-05-16 05:47 | 正信偈の教え | Comments(2)