帖外ブログ・其の十七

一、生きるのに理由があってもいいが、われらは理由ではなく事実を生きている。

二、どんな事実も受け入れる。好き嫌いを言うのはその後でいい。

三、われらに頭ある限り妄念妄想は湧いてくる。湧くのも事実。相手にしない。

四、みな一人一人、自分を中心とした世界の中にいる。それが全世界ででもあるかのように。

五、やがてなくなるものに執心するからむなしい。もともとむなしい。

六、死が恐いのではない。意味のない人生だったと知ってしまうのが恐いのです。

七、どんなに人間が傲慢だといっても死ですべてが清算される。

八、死んだら仏になるなんて、どこにも証拠はない。証拠がないのだから安心はない。

九、生まれたということがないから死ぬということがない。そもそも誰が死ぬのか。

十、仏法は学んでも役に立たない。この世で役に立つものはこの世のものでしかない。

南無阿弥陀仏

平成三十年三月二十四日

善及記す


Commented by 畑のかえる at 2018-03-23 07:12 x
おはようございます。
「妄念は凡夫の自体なり、妄念のほかに別に心は無きなり(横川法語)」と同じ意味といただきました。
今日もありがとうございました。
Commented by zenkyu3 at 2018-03-23 07:25
> 畑のかえるさん
妄念のうちより申しいだしたる念仏は、濁にしまぬ蓮のごとくにして、決定往生うたがい有るべからず。妄念をいとわずして、信心のあさきをなげきて、こころざしを深くして常に名号を唱うべし。(横川法語)
by zenkyu3 | 2018-03-24 06:50 | 帖外ブログ | Comments(2)