念仏行者の御文

  そもそも、当流にたつるところの他力の三信というは、
  第十八の願に「至心信楽欲生我国」(大経)といえり。
  これすなわち三信とはいえども、ただ弥陀をたのむところの、行者帰命の一心なり。
  そのゆえはいかんというに、宿善開発の行者、
  一念弥陀に帰命せんとおもうこころの一念おこるきざみ、
  仏の心光、かの一念帰命の行者を摂取したまう。
  その時節をさして、至心信楽欲生の三信ともいい、
  またこのこころを願成就の文には「即得往生住不退転」(大経)ととけり。
  (以上、一部抜粋)

  (御文・第四帖・第一通)

 御文はどれとして「一念帰命」を説かない御文はない。蓮如は自らが経験した「その時節」だけを生涯、教え続けた。巨大化する教団の経営者として宗義を明確にする必要が常にあったのでしょう。ただ、驚くべきことはその内容で「一念帰命」が常に露出している。現世利益や方便が一切ない。それは蓮如自身に信心があったからに他ならない。どれほど教団が巨大化しても親鸞の教えが世俗化しなかった理由であろうかと、学者でもないのにそんなことを思う。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-03-16 06:12 | 御文を読む | Comments(0)