帖外ブログ・其の十四

一、無我というと難しいが、起きていることを事実と受け入れて文句がなければ無我。

二、今起きていることを事実という。事実を受け入れることを拒否すれば苦悩となる。

三、事実を受け入れると自我が壊れる。どんな場合も事実に立つことが信仰である。

四、事実を受け入れない心を自我という。事実を疑うので心が暗い。

五、自我は決着をつけたいが命に決着はない。決着がないと決着すれば、疑いがない。

六、今起きている事実を信じるか。それとも頭の中にある妄念妄想を信じるか。

七、事実を受け入れないのは頭の中にある妄念妄想に執着しているからである。

八、頭の中の妄念妄想がなにか価値があるように思えたら、それが我執である。

九、妄念妄想は放って置けば直ぐに消えてなくなるから妄念妄想という。

十、妄念妄想は妄念妄想でしかない。それを分析しても意味がない。

南無阿弥陀仏

平成三十年三月九日

善及記す

Commented by 畑のかえる at 2018-03-09 08:44 x
イチローがインタビューで、大谷選手のことを聞かれて次のように答えていました。
「わたしと彼とは親子の年の開きがある、でも精神的には彼が親でわたしが子どもです・・・」
こういう言葉がスッとでてくるというのは、自分を第三者の目で見ることができるからかなあと思った次第です。
一流の人は、自分の心を虫かごの中の虫を見るような訓練が習慣ができているのかなと。
( *´艸`)わたしもいつの日か信心歓喜の心境が得られますよう、遅々たる歩みですが、前に向かって今日も。
なむあみだぶつ、今日もありがとうございました。
Commented by zenkyu3 at 2018-03-09 10:33
> 畑のかえるさん
仏さまから見たらわたしはどんな風に見えるのだろうか。わたしはこれだけを考えて信心をいただきました。善及
by zenkyu3 | 2018-03-09 06:04 | 帖外ブログ | Comments(2)