御袖すがりの御文

  当流の安心のおもむきをくわしくしらんとおもわんひとは、
  あながちに智慧才学もいらず、
  ただわが身はつみふかき、あさましきものなりとおもいとりて、
  かかる機までもたすけたまえるほとけは、
  阿弥陀如来ばかりなりとしりて、
  なにのようもなく、ひとすじにこの阿弥陀ほとけの御袖に
  ひしとすがりまいらするおもいをなして、
  後生たすけたまえとたのみもうせば、
  この阿弥陀如来はふかくよろこびましまして、
  その御身より八万四千のおおきなる光明をはなちて、
  その光明のなかにそのひとをおさめいれておきたまうべし。

  (以上、一部抜粋)

  (御文・第五帖・第十二通)

 地獄行きの業造りは自分の心です。だから、「後生助けたまえ」とは、なにから助けてほしいかというと、自分の心から助けてほしい。自分の心と一緒にいると地獄行きだから、なんとか自分の心を離れ捨てさせてほしいと、そういうことです。しかし、そうこうしているうちに自分の心がこう囁く。「心をなくしてなんの人生か。喜怒哀楽こそ生きる素晴しさ、生きる喜びを捨てて人間をやめる気か」と。

 何度も何度も自分の心(群賊悪獣)に籠絡されて、五年十年といくら聴聞しても「ただわが身はつみふかき、あさましきものなりとおもいとりて」(機の深信)というところまでたどり着けない。だから、「ひとすじにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまいらするおもい」(法の深信)が起きるはずもない。「後生たすけたまえ」となるには自分の心の恐ろしさ、浅ましさ、おぞましさを十二分に味わわなくてはならない。

 南無阿弥陀仏


Commented by 畑のかえる at 2018-02-12 09:33 x
そのあさましい自分の心を見るのは避けて通りたい・・・、避けてお救いに会いたいわたしです。
なむあみだぶつ
Commented by zenkyu3 at 2018-02-12 10:34
> 畑のかえるさん
みなそうなのでしょう。善及
by zenkyu3 | 2018-02-12 06:08 | 御文を読む | Comments(2)