二河白道の譬え(2)

  *4 この念を作す時、
  東の岸にたちまちに人の勧むる声を聞く。
  「仁者ただ決定してこの道を尋ねて行け、
  必ず死の難なけん。もし住まらばすなわち死せん」と。  
  また西の岸の上に人ありて喚うて言わく、
  「汝一心に正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん。
  すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と。

  (教行信証・信巻「二河白道」引用部分)

 聴聞をしても金が貯まる訳でもないのに、なぜ、わたしたちは聴聞するのだろうか。聴聞する時間があったら金儲けした方がいいかもしれない。でも、なにかに引き寄せられるようにいつでも聴聞する。いつも仏のことを考えている。こっちへ来いと呼ぶ声に引っ張られて行く。そこにいちゃいけない、こっちへ来いと、あちら側から呼んでくださっている。声は聞こえないが引っ張られて行く。

 世間は用もないことで忙しく、わたしの心の中も駅前の雑踏のように騒がしい。内と外の騒音にかき消されているが、遠くから微かにわたしを呼ぶ声が聞こえる気がする。わたしたちはなにかを忘れている。だから、頼まれもしないのにいつも聴聞している。きっと聞こえる。喧騒を離れ孤独になって耳を澄ませば、きっと、あなたを呼ぶ声が聞こえる。二河譬は内面の事実です。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-01-09 06:03 | 教行信証のこころ | Comments(0)