二河白道の譬え(1)

  *4 時に当たりて惶怖すること、また言うべからず。
  すなわち自ら思念すらく、「我今回らばまた死せん、
  住まらばまた死せん、去かばまた死せん。一種として死を勉れざれば、
  我寧くこの道を尋ねて前に向こうて去かん。
  すでにこの道あり。必ず度すべし」と。
  この念を作す時、東の岸にたちまちに人の勧むる声を聞く。
  「仁者ただ決定してこの道を尋ねて行け、必ず死の難なけん。
  もし住まらばすなわち死せん」と。
  また西の岸の上に人ありて喚うて言わく、
  「汝一心に正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん。
  すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と。

  (教行信証・信巻「二河白道」引用部分)

 西の岸から仏が呼ぶ。「汝一心に正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と。自分の心(凡心)を捨てるのは死ぬほど恐ろしい。「我今回らばまた死せん、住まらばまた死せん、去かばまた死せん」を三定死という。自分の心と闘い、ここまで辿り着く人は極めて稀だが、三定死に至って初めて仏の呼び声が聞こえる。


 凡心と仏心の二者選択までにようやく追いつめられて、「一種として死を勉れざれば、我寧くこの道を尋ねて前に向こうて去かん。すでにこの道あり。必ず度すべし」と仏にすがり、仏に守られ三定死の恐怖を超えた一瞬に西の岸に渡る。西は仏心、東は凡心。凡心から仏心に主体が転換する信の一念です。二河譬は行者が命懸けで信を取る内面の葛藤を驚くほどリアルに描いている。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2018-01-08 06:04 | 教行信証のこころ | Comments(0)