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愚者になりて往生す

  よしあしの文字をもしらぬひとはみな
  まことのこころなりけるを
  善悪の字しりがおは
  おおそらごとのかたちなり

  (正像末和讃)

  故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と候いしことを、
  たしかにうけたまわり候いしうえに、
  ものもおぼえぬあさましき人々のまいりたるを御覧じては、
  往生必定すべしとてえ(笑)ませたまいしをみまいらせ候いき。

  (末燈鈔)


 われらは生まれた時にすでに与えられた過去を持って生まれてくる。選ぶことはできない。過去の延長に現在があるが、不思議といって、なぜ、現在の境遇が与えられているのかはわからないようになっている。ただ現在という事実に投げ出されて生きているだけだ。すべては宿業である。与えられてくる境遇はわれらの力ではなんともできないもので、なんとかなったように思うこともあるが、なんとかなるようになっていただけのことだ。ほとんどのことはなんともならない。そもそも思い通りにならないならないと騒ぐのは思い通りにしたい善悪の思いだけであり、騒ぎたてる思い以外はなにも問題がない。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2016-12-28 12:31 | 真宗の眼目 | Comments(0)

二河白道

  また西の岸の上に人ありて喚うて言わく、
  「汝一心に正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん。
  すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と。

  この人すでに此に遣わし彼に喚うを聞きて、
  すなわち自ら正しく身心に当たりて、
  決定して道を尋ねて直ちに進みて、
  疑怯退心を生ぜずして、
  あるいは行くこと一分二分するに、

  東の岸の群賊等喚うて言わく、
  「仁者回り来れ。この道嶮悪なり。
  過ぐることを得じ。必ず死せんこと疑わず。
  我等すべて悪心あってあい向うことなし」と。

  この人、喚う声を聞くといえどもまた回顧ず。
  一心に直ちに進みて道を念じて行けば、
  須臾にすなわち西の岸に到りて永く諸難を離る。

  (教行信証・信巻引用「二河白道」より)


 「二河白道」の一部を引用しました。「群賊悪獣」とはなにか。いわば、頭の中の妄念妄想(煩悩)を「群賊悪獣」というのでしょう。われらは頭の中の妄念妄想に執着して、妄念妄想の下僕に成り下がってしまって、自分がなにをしたいのか、どうしたいのかすらわからなくなっている。これを「迷い」といいます。だから、頭の中の妄念妄想(煩悩)を「妄念妄想でしかない」と気づくことが「救い」となる。そして、妄念妄想から自由になって相手をしないでいられるようになることを「正念に住する」というのです。

 仏教を学び始めてから、頭の中のことは「妄念妄想でしかない」と気づくのに十年がかかり、妄念妄想から離れていられるようになるのにさらにまた二十年がかかりました。正念に住する生活を「往生」といい、往生の生活の到達点が「成仏」です。妄念妄想の相手をせず、事実を事実として受け入れてとくに不満もない姿を「愚者になりて往生す」(末燈鈔)というのでしょう。「汝一心に正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と、竹内先生はいつもお弟子さんたちを励まされていたことを思い出します。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2016-12-27 21:18 | 宗教体験の事実 | Comments(0)