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自力のこころをすつ

  自力のこころをすつというは、
  ようよう、さまざまの、大小聖人、善悪凡夫の、
  みずからがみ(身)をよしとおもうこころをすて、
  みをたのまず、あしきこころをかえりみず、
  ひとすじに、具縛の凡愚、屠沽(とこ)の下類、
  無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、
  煩悩を具足しながら、無上大涅槃にいたるなり。

  (唯信鈔文意)

  およそ、「自力のこころをすつ」以外に宗教といわれるものも、
  また真実の生活もあるものではない。
  自力をすてるのが生の意義の完了であり、
  最高価値の獲得であり、人間究竟理想の全現である。
  これ以外に人間受生の本懐というものがあるべきいわれはない。

  この自力とは無始流転の業因たる自我意識である。
  これをくだく力は自我性そのものなる人間の中からは生まれないのである。
  それは涅槃の真因たる真実信心が衆生に入りこみ、
  おのずからあらわれる内面の事実である。
  この真実信心が金剛堅固なるゆえに、
  無始以来の初ごとに、自力がくだけるのである。

  これを具体的に言えば、
  無碍光如来のみ名を称えるとき、
  無限の慈悲を本体とする無碍光の前に、
  それを大悲したもう根源的なる迷いの苦因、
  自我中心の態度がくだけるのである。
  これを“はからいなし”というのである。
 
  (松原致遠著「わが名を称えよ」より)


 生き甲斐とは「わたし」を証明する手段なのでしょう。最初は手段だが気がつかないうちに目的になってしまう。金が生き甲斐と決めてしまったら鳥を追う猟師は山を見ない。金のための人生になる。金が自我となって金が自我を支える。仕事であれ家族であれ才能であれ、執着する対象がなんであれ同じことだ。「わが名を称えよ」に出会ったのはわたしが仕事で挫折した時だった。仕事が自我だったから、自我が崩壊の寸前にいた。法を聞くにはちょうどいいタイミングだ。

 これで仕事が上手く行っていたらわたしは人生を間違えていた。自我とは意識であり実体ではない。自我を支えるものがなくなれば自我はすぐ崩壊する。人生苦とは自我の危機である。よって、法を聞く縁となるが、人生を支え、自我を守るために法を聞いても意味がない。なぜなら、「自力をすてるのが生の意義の完了であり、最高価値の獲得であり、人間究竟理想の全現である」からである。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-01-04 14:35 | 真宗へのアプローチ | Comments(0)