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往生は人生の修行である

e0361146_17481365.jpg  あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。
  心を至し回向したまえり。
  かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得て不退転に住す。
  唯五逆と正法誹謗とを除く。

  (第十八願成就文)

  「得」は、うべきことをえたりという。
  真実信心をうれば、すなわち、無碍光仏の御こころのうちに摂取して、すてたまわざるなり。
  「摂」は、おさめたまう、「取」は、むかえとると、もうすなり。
  おさめとりたまうとき、すなわち、とき・日をもへだてず、
  正定聚のくらいにつきさだまるを、往生をうとはのたまえるなり。

  (一念多念文意)

  往生は生きているうちに往生する。
  成仏はこの命が終ってそうして新しい命で成仏する。
  成仏というのは滅度ですからね。
  朝から晩まで人間の生活は往生の生活である。
  往生ということに一点の疑いのない、そういう生活でありましょう。
  純粋往生の生活、決定往生の日暮しをさせていただく、それを、正定聚という。
  正定聚の人は必ず成仏する、と。
  往生は心を養うのでございます。往生は修行であります。
  往生は人生の修行であると私は理解しているのであります。

  (曽我量深著「親鸞との対話」より)

 量深師には学問の前に信仰がある。仏のお心の中に生まれたという体験がある。いま現に、お育ていただいているという確かな自証がある。だから、「往生は人生の修行である」とはっきり言える。ただの学問なら硬直する。退屈だ。仏のお心をいただけば心は明るく、軽く、柔らかくなる。自然にそうなる。自然にそうなるから必ず仏になる。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-01-12 06:33 | 曽我量深師の教え | Comments(2)