一青年の死(3)

(野田明薫の文章)

  さて、その浄土へはどうして参るぞと言えば、口に称うるだけなり。
  『わが名称うるものを迎え取ろう』のご本願なれば、
  その口に念仏申す一つにて、往生はお許しなり。
  構えて、今日より念仏を申して、誤またず往生し給うべし。
  御身は前途は暗黒じゃと言わるるも、その暗黒が、
  自我の見解を全く奪われたる、無我・無私の光にして、光明世界なり。

  (全4回・その3)

 さらに父の子への教化が続く。死は生を通さない。思議が不可能である。われらは「自我の見解」に執着するゆえ、「自我の見解を全く奪われたる」不可思議を「闇黒」と恐れるが、それはまったく反対で、「自我の見解」こそが実は闇で、「自我の見解を全く奪われたる」ところこそが「無我・無私の光にして、光明世界」であったのである。闇を光と思い、光を闇と思うは「自我の見解」への執着、この一点である。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2017-11-22 06:50 | 野田明薫の文章 | Comments(0)

一青年の死(2)

(野田明薫の文章)

  始めなきの始めより迷いに迷うた迷界(三界)を
  今日限り離脱するの方法は、浄土に生まれ往くにしかず。
  かの浄土は不退国なれば、一たび往生したらん以上、
  再び穢土(娑婆)へ生を受けて来ることなし。
  これ、永劫に生死の苦を離れんと欲せば、
  弥陀の浄土に生まるるにしかずと言う所以なり。

  今や、期せずして、もはやこの世に望みなき身となりしことを、
  もつけの幸いとして、衆苦充満の娑婆界をこの際出離して、
  真実の親様の待てるかの浄土へ生まれ往かんとの大志を起こすべきなり。
  明薫(私)も参るべし。
  御身も、一足先に参りおりて、愚身を待ちくれよ。

  (全4回・その2)

 引き続き、死を前にしたわが子への明薫師の言葉である。「今や、期せずして、もはやこの世に望みなき身となりしことを、もつけの幸いとして」とは痛切である。いまや死ぬばかりのわが子への、明薫師の溢れるばかりの慈悲である。明薫師には嘘がない。勤行の後で、竹内先生が何度も何度も「一青年」を拝誦されるのも、明薫師のお心を思えという、一向に聴聞に身が入らぬわれらへの厳しい叱責であった。

 「真に訴うるところなきの訴えを抱き、何物を以ってするもその心を慰むる能わざるの境遇に立てり」。ここまでこなければ本当の聴聞にはならない。聞くから聞こえる。「一青年」の置かれた境遇がすでに「全く絶望・闇黒」である。それゆえに「もつけの幸い」である。「全く絶望・闇黒」こそ明薫師も通った大疑団である。「明薫(私)も参るべし。御身も、一足先に参りおりて、愚身を待ちくれよ」。これをなんと聞く。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2017-11-21 21:38 | 野田明薫の文章 | Comments(0)

一青年の死(1)

(野田明薫の文章)

  不治の病いにかかりて呻吟する一青年あり。
  医師もサジを投げ、本人も助からぬものと覚悟してみれば、
  前途は全く絶望・闇黒となり、悶々の情、抑えんと欲して抑うること能わず。
  真に訴うるところなきの訴えを抱き、
  何物を以ってするもその心を慰むる能わざるの境遇に立てり。
  ここにおいてか、勢い、自暴自棄となりたり。

  一日、その青年に示して曰く、
  「人生の苛酷なる、この佳人を禍す。また命なりと言うべし。
  自暴自棄におちいるも、無理ならず。自暴自棄となる、また大いによろし。
  ただし、自暴自棄となりて悪道に走るものを魔道となし、
  自暴自棄となりて善道に走るものを仏道となす。
  すべからず、魔を捨てて仏を取り、悪道(三悪道。三塗。地獄・餓鬼・畜生)
  ・三界を離れて善趣の浄土に入らんと志すべきなり。

  (全4回・その1)


 竹内先生の恩師・野田明薫師の文章です。十九歳で不慮の事故に遭い、この世を去った師のご次男・成郷氏の臨終を機縁として書かれたものです。先生は会座で常にこの文章を引用され、勤行の後でも拝誦されました。先生にとって特別な文章です。何度も何度も味わいたい。

 死とはなにか。生は死を経験しない。思議が不可能である。人の力をいとも簡単に無力化する。抗いようがない絶対の力である。生にとり死は自らの全否定として臨む。ごまかしようがない絶対事実である。死の事実の前に謙虚になって鎮まるのが信仰の姿である。生の現在、板子一枚下は死であることを忘れてはならない。

 死を前にしたわが子に対して明薫師はなんと言ったか。「自暴自棄となる、また大いによろし」と、この父は言った。「自暴自棄」こそが死を前にした人の、ありのままの姿であるからである。死という絶対事実の前にすべてが否定される。そこで始めて人は「この世で生きる本当の意味とはなんであったか」と真面目な問いを起こす。それゆえ「自暴自棄となる、また大いによろし」と。まだ間に合う。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2017-11-21 06:44 | 野田明薫の文章 | Comments(0)

不治の病いにかかりて呻吟する一青年あり。
医師もサジを投げ、本人も助からぬものと覚悟してみれば、
前途は全く絶望・闇黒となり、悶々の情、抑えんと欲して抑うること能わず。
真に訴うるところなきの訴えを抱き、
何物を以ってするもその心を慰むる能わざるの境遇に立てり。
ここにおいてか、勢い、自暴自棄となりたり。

一日、その青年に示して曰く、
「人生の苛酷なる、この佳人を禍す。また命なりと言うべし。
自暴自棄におちいるも、無理ならず。自暴自棄となる、また大いによろし。
ただし、自暴自棄となりて悪道に走るものを魔道となし、
自暴自棄となりて善道に走るものを仏道となす。
すべからず、魔を捨てて仏を取り、悪道(三悪道。三塗。地獄・餓鬼・畜生)
・三界を離れて善趣の浄土に入らんと志すべきなり。

始めなきの始めより迷いに迷うた迷界(三界)を
今日限り離脱するの方法は、浄土に生まれ往くにしかず。
かの浄土は不退国なれば、一たび往生したらん以上、
再び穢土(娑婆)へ生を受けて来ることなし。
これ、永劫に生死の苦を離れんと欲せば、
弥陀の浄土に生まるるにしかずと言う所以なり。

今や、期せずして、もはやこの世に望みなき身となりしことを、
もつけの幸いとして、衆苦充満の娑婆界をこの際出離して、
真実の親様の待てるかの浄土へ生まれ往かんとの大志を起こすべきなり。
明薫(私)も参るべし。
御身も、一足先に参りおりて、愚身を待ちくれよ。

さて、その浄土へはどうして参るぞと言えば、口に称うるだけなり。
『わが名称うるものを迎え取ろう』のご本願なれば、
その口に念仏申す一つにて、往生はお許しなり。
構えて、今日より念仏を申して、誤またず往生し給うべし。
御身は前途は暗黒じゃと言わるるも、その暗黒が、
自我の見解を全く奪われたる、無我・無私の光にして、光明世界なり。

ただし、人を頼りにするな。親・兄弟にも別れてゆく旅なり。
両親を頼るな。骨肉を頼るな。前後左右さらに人影を認めざる、
無人の広野を、御身一人にて発足する独り旅なり。
ただ念仏して、独立・独歩で往け。分かりしか、分かりしか」と諭したりしに、
かの青年、頭を垂れたるまま、一句も吐かず、
黙々として聞く間にも、眼に一滴をも宿さざりしが、
鼻よりしきりに涙流れおり、最後にわずかにうなずくのみ。

その後は、病体の中より、一万を底(最低限)として日課とし、
近づく往生を期しおる状態は、目も当てられず、
胸も張り裂くるばかりの有様に候えば、
この勢いに引き立てられ、引きたてられ、お念仏申しおるにて候なり。

(大正十五年丙寅一月六日書之)


# by zenkyu3 | 2017-11-21 06:26 | 仏からの道・資料集 | Comments(0)

野田明薫の文章

(このブログのこと)

 野田明薫師は竹内先生の恩師です。ただ、「六七歳の頃、膝に抱かれた記憶がある」というくらいで、直接の指導を受けたということではない。その遺文から学ばれたということです。明薫師が遺された文章や手紙は『先師の言葉』として製本化されており、当時、毎月の例会の教材としても使われておりました。


 例会のたびにいただいた資料を保存してありましたので、その一部を旧ブログ「聞其名号信心歓喜乃至一念」に掲載、紹介させていただきました。それをもう一度、このブログで読み直してみようと思います。竹内先生の会座の記憶につながっているからです。なお、先生の最後の著書『称名念仏の大悲』に野田明薫師と竹内先生のことが紹介されていますので、引用しておきます。参考にしてください。

 南無阿弥陀仏


  【参考】野田明薫師のこと

  一九三二(昭和七)年三月二十六日、群馬県桐生市境野町、本然寺住職・野田明薫命終。
  享年五十三歳。法名、願海院釈明薫。

  同師には伯母、岩田カ子(かね)と両親が一九二〇年以来、ご化導いただいた。
  野田先生なしには後年の竹内維茂も樹心会もないと言っても過言ではない。
  先生の遺文を収めたトランクは、一九四四~四五年の東京空襲のたび毎に非常持ち出しをしたという。
  遺文は後年『先師の言葉』全三十冊(樹心会編、一九六八~七二)に収める。

  (弥生書房刊『称名念仏の大悲』169ページ)


# by zenkyu3 | 2017-11-20 21:12 | このブログのこと | Comments(0)