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  四十四、死ぬまいと思うて居るうちに死ぬる。
  真宗の者は、地獄へ墮ちはせまいと思うて堕ちる。
  他宗のものは業がつよくて堕ちる。
  仏法を知らぬものは、地獄はありませぬと思うて堕ちる。
     

  五〇、或る人の尋ねに。
  私は地獄へ堕ちるばかりの心で御座ります。
  仰せに。地獄へ堕ちるばかりの心え、聞くたびに、
  ただ嬉しいばかりの御法なり。

  (香樹院語録) 

 「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」(歎異抄・第2章)。この世は地獄である。現在が地獄である。前の生も地獄、次の生も地獄、われらは地獄しか知らないから地獄とも知らずに生きている。理由もわからず苦しんでいる。われらは地獄を生きる同類で、生きる惨めさは一切の有情のありのままの事実である。内側を見ればみな惨めなものである。外を見ても惨めなものである。惨めを惨めと知ったはよくよくのお慈悲である。みな地獄を地獄とも知らずに堕ちて行くのに、地獄一定と知ったはよくよくのお慈悲である。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


# by zenkyu3 | 2017-04-05 11:22 | 念仏のすすめ | Comments(0)

異時因果と同時因果

  七三、断見、常見  
  断見ーーー因果業報を知らず。地獄極楽をなしと執ず。  
  常見ーーー無常迅速を知らず。他力の方便を知らず。  

  (香樹院語録)

 異時因果と同時因果という。地獄極楽を死後とすれば異時因果であり、現在とすれば同時因果である。極度の精神ストレスが見る世界はまさに地獄であり、死ねば地獄に墜ちると思う。地獄があれば極楽がある。信心の智慧が開く心の世界が極楽であり、現在に感得するから同時因果という。信心がなければ感得できないので、不信の心は未来に生まれるところと観念するから異時因果である。すなわち、現生正定聚は十八願の同時因果であり、未来往生は十九願の異時因果である。

 心が外の世界を見るから内と外は因果関係にある。たとえば、異性を見るのは生殖の準備ができたということであり、金や地位を見るのは欲望に縛られているだけの心とあわせ鏡である。われらは死ねば終わりの命である。死ねば終わりの命が死なない命に出遇うのが信仰である。死なない命に出遇うから安心して死んでいけるのである。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


# by zenkyu3 | 2017-04-04 10:44 | 真宗の眼目 | Comments(4)

自分の心を観察する

  六九、江戸淺草御坊にて、安心のことに就き、
  僧侶より何れが正しきや正しからざるやを、
  御尋ね申し上げたれば、仰せに、
  褄の上り下りは、着物着た上のことじゃ。
  裸体の乞食に其の議論はないぞ。
  との御一言にて、みなみな感じまいらせぬ。

  (香樹院語録)

 信仰とは仏に遇う。仏とは自分が見えること。対象ではない。自分を映す鏡が仏。鏡は映すものを選ばない。映すものを歪めない。ありのままに映す。自分の顔は自分には見えないのだから、自分が見えたら見えたことが仏である。それ以外に仏はない。自分が見えないから迷う。自分が見えたら迷いようがない。見えるようにして救うのが仏のお慈悲である。だから、自分が見えたら、それが仏である。

 では、仏に遇うにはどうしたらいいか。「仏はわたしをどう見ておられるか」と、こればかり寝ても覚めても一日中これだけを考えて暮らす。聴聞すると知識や理屈が増えて困る。仏に遇うのに知識はまったく不用で、むしろ邪魔だ。それよりも、仏の視線の先の自分とはどんなものであるか。仏のお気持ちになって自分の心を観察することである。教義の勉強は信心をいただいてからする。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


# by zenkyu3 | 2017-04-01 23:51 | 聴聞の実際 | Comments(0)

疑うなよ疑うなよ

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  一八六、或る人、後生と云うことは存じませぬと申し上げたれば、
  師仰せられ候。おれも後生はしらぬ。しらぬがよいのじゃ。
  とやかく思うは凡夫の心。如来様は疑うなよ疑うなよと仰せらるる程に。

  (香樹院語録)   


 心に受け入れられない現実を前にすると人は「なぜ?」となる。自分を疑わずに事実を疑う。自分に都合のいいように解釈して事実を受け入れまいとするが、どうしても受け入れなくてはならないとなると、それが「苦悩」となる。我性と我性が闘争する世間では幸せにはなれない。生まれたら死ぬ。これが当たり前である。現実に疑問がない。ありのままの現実を受け入れて不満がない。これを「涅槃」(安楽)という。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


# by zenkyu3 | 2017-03-31 22:11 | 真宗の眼目 | Comments(0)