未来は明るいか

  死の事実というのは、自分自身の最も根源の事実であって、
  体験も出来なければ、経験することも出来ない。
  「私は死んだ」という言葉は決してどんな人間にも吐けない事実なのです。
  しかし、その死の事実においては、偽り諂いということは一切通らないのです。
  自分を弁護することも、自分を正当化することも、
  自分の言い訳や粉飾も一切成り立たない。そういう事実がある。
  これが根源にある事実なのです。

  (平成元年九月三日・第一例会の法話より)


 竹内先生はお弟子たちに「死の事実に立て」とよく言われた。高齢者を前にしても「死」という言葉を使うことに躊躇はない。「人は必ず死ぬから」などという軽い言葉ではない。死の事実から目をそむけるなというのです。あなたが生きる支えにしているもの、それがたとえなんであれ、すべてを無意味にするのが「死の事実」です。

 現に、死を前にした人に慰めの言葉はない。未来がないからです。未来がないから「死」という。だから、竹内先生は「未来は明るいか」ともよく言われた。未来が確かでないから、あなたの現在は暗い。暗いけれども闇の中にいるから、闇の中とも気づかない。闇とも気づかないから闇というと、これも竹内先生が教えてくれたことです。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2016-11-18 19:51 | 竹内維茂先生の言葉 | Comments(2)

e0361146_19580210.jpg われわれの信心の生活、仏法の生活、ほんとうの喜びの生活、明るい生活、それを往生という。だから、ここからどかへ行くというようなものではないんでしょう。常に身は娑婆世界に居るけれども、心は娑婆世界を超越しておる。往とは超越をあらわす。「死んで浄土に往生する」というてみても、そんな証拠はどこにもない。生きているうちに証拠がなければ、死んでからの証拠など、どこにもありません。証拠は自分の生活そのものにある。自分の生活そのものが証明するのである。

 信心決定した生活は、心が浄土に居るという生活。身は娑婆世界におるんだけれども、心は娑婆世界に縛られておらん、と思います。自由である。自由であって、心は常に平和である。証大涅槃ということはできないけれども、涅槃に近づいておる。そうでしょう。それを近門という。だから、わたくしは、往生は現生にある、成仏は未来にある、という。往生の終着点が成仏である。それを往生即成仏という。

 (曽我量深著「正信念仏偈聴記」より)


 真宗教義のほとんどを量深師の著書から学んだ。真宗教学の権威が伝統教学を克服して「心の往生」を説いていたからです。わたしの信体験を裏付けてもらったと確信したものです。「心の往生」とは、上に引用した通りのことで、なにも難しいことではない。信の一念に開けてくる悟りの世界を「浄土」というのだと言っているのです。信仰は頭でわかっても意味がない。まずは身命を賭して信の一念に立ってほしい。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2016-11-17 08:26 | 曽我量深師の言葉 | Comments(0)

誰もが必ず挫折する

  罪業もとよりかたちなし
  妄想顛倒のなせるなり
  心性もとよりきよけれど
  この世はまことのひとぞなき

  (正像末和讃)


 誰もが必ず「挫折」する。挑戦しなければ失敗もしないが、自分を誇れるものが欲しいばかりに、だれもが気に入った現実を求めてフラフラと亡霊のように漂っている。気に入った現実を求めているうちに頭の中の出来事が世界のすべてになってしまう。「意識」という心の病だ。小さな頭の中に猛烈な嵐が起きている。意識の猛毒が体を蝕む。

 現実を頭の中の理想に合わせようとする努力がそもそも間違っている。大小が逆転しているから必ず挫折、転倒する。仮に思い通りになったと錯覚しても、最後に決定的な挫折が待っている。あなたにとっての都合のよい現実ばかりか、あなたがきれいさっぱり消えてなくなる。生きることに夢中になっているうちは気づかなかったことを死の床で気づかされるのだ。

 さて、上に掲げた和讃ですが、「頭の中のことは現実ではない」ということを教えている。仏教では頭の中の出来事を「妄想」という。妄想は現実ではない。妄想を現実であるかのように思い込むから「妄想顛倒」という。頭の中の出来事が「妄想」とわかれば、それが「悟り」ということです。簡単なようだが難しい。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2016-11-16 14:36 | 三帖和讃を味わう | Comments(0)

  仏教ブログ〈聞其名号信心歓喜乃至一念〉
  2010年9月24日付けの記事「濁川改め全休です」よりの再録です

 濁川(だくせん)という名前で、2004年4月に《濁川の仏教&人生論ノート》というサイトを始め、日記のように原稿を書いていました。その間、読者も多く出来て、読者のメールを読むのが楽しみのひとつとなっていたものです。六年続いたサイトでしたが先月でやめて、9月8日からこの仏教ブログを始めたという次第です。名前も濁川(だくせん)から全休(ぜんきゅう)に改めました。なぜかと理由を聞かれますが、過去に書いたものに縛られる不自由さを感じてきていたからです。仏典があるので、わたしの書いたものなどクズに変わりませんので、すべて捨てました。

 二十代から仏教を学んできましたが、若い頃は、生きる理由がまったくわからなかった。訳もわからず家族をもってしまったが、きっと金儲けと子育てだけの人生には耐えられなかっただろうと思う。それでも苦闘の末、ようやく三十六で宗教体験を得て、ますます仏教一本になって、五十になった頃、ようやくなにかが書けると思って《濁川の仏教&人生論ノート》を始めたということです。一休道歌に「本来の面目坊が立ち姿 一目見しより恋とこそなれ」とありますが、まさにそんな感じです。

  (往生礼讃)また云わく、
  仏世はなはだ値い難し、人信慧あること難し。
  たまたま希有の法を聞くこと、これまた最も難しとす。
  自ら信じ人を教えて信ぜしむ、難きが中に転た更難し。
  大悲、弘く普く化する、真に仏恩を報ずるに成る、と。

  (教行信証・信巻)

 親鸞の著書『教行信証』に引用された善導の文章です。仏の教えの残っている時代に生まれあわせたことは、とても幸運なことですが、ひるがえってこの世を見るに、信心の智慧を感得した人は実に稀で、求めても、智慧の人に会うことなど、まず出来ない。このようだから、この世で唯一の真実である仏法を聞こうなどという人もまずいない。しかし、たまたま信心の智慧を得るという幸甚にあったのだから、困難を乗り越えて、智慧を伝えていこうと思う。それが仏さまのご恩に報いることになろうから。・・・そんな感じです。

 この仏教ブログを始めた理由は、信心を得る人を出すためです。濁川(だくせん)の頃も、わたしの文章を読んで僧籍に入った人がおられましたし、智慧を得たのだなと思える人も二人ほどおられました。それこそ試行錯誤、苦悶の修行をしておられる人はたくさんおられます。生活しながら法を聞くというのは大変なことですが、よほど人生に大きな疑問を抱く契機がなければ法を聞き続けるというのも難しいものです。

 仏教は世渡りの方便でもなければ、地獄に落ちないための保険でもない。心のケアをするためのものですらない。むしろ、精神的な病を抱えたまま修行するのはとても危険です。仏教に出会う縁はさまざまですが、仏法とは、仏法を学ぶために仏法を学ぶのであり、仏法はなにかの手段、方法にはなりえないものだと知ってほしい。むしろ、仏法を学ぶためにこそ生まれてきたと考え、仏法を学ぶために生活し、悟りを得るという本懐を遂げてほしい。生を受けた喜びの中に生きていけるでしょう。

 さて、今回は、濁川から全休に変わった経緯を報告させていただきました。濁川の頃からの読者のみなさん、これからもお便りください。このブログで全休を知った方、真剣に仏教を学びたいと考えている方からのメールを楽しみにしています。これからもみなさんにご示唆をいただきながら聞法の生活を続けてまいります。 

 濁川改め全休

 南無阿弥陀仏 

 仏教ブログ〈聞其名号信心歓喜乃至一念〉

 2010年9月24日「濁川改め全休です」


# by zenkyu3 | 2016-11-15 09:27 | このブログのこと | Comments(2)

仏からの道

e0361146_08513593.jpg  如来大悲の恩徳は
  身を粉にしても報ずべし
  師主知識の恩徳も
  骨をくだきても謝すべし

  (正像末和讃)


 「仏からの道」は亡き師、竹内維茂先生の著書のタイトル名です。真宗大谷派崇信教会の主管であった先生に出会って真宗に帰しました。平成元年、三十六歳になったばかりの十月のことです。以来、ずっと親鸞を学んでいます。六年ほど前から「聞其名号信心歓喜乃至一念」というブログを書いてきましたが、このところ、どうしても一区切り感がついてきていました。

 違ったトーン、新しいアプローチでブログを続けようと思いながら今日になったということです。ネット上で文章を書き出したのはさらに前で、五十の頃、「濁川」(だくせん)という名で書いていた仏教サイト以来の旧知の読者もおられます。ここでの新しい出会いを楽しみにしています。竹内維茂先生の法恩に報いるために「仏からの道」というタイトルにしました。

 南無阿弥陀仏

 仏教ブログ〈聞其名号信心歓喜乃至一念〉
 http://ictv.easymyweb.jp/member/zenkyu/


# by zenkyu3 | 2016-11-15 08:05 | このブログのこと | Comments(0)