聞法の用意

(このシリーズは終わります)


  一、年久しく聴聞いただけども。
  心の同辺たるは、過去の業報つよくして、
  又も三悪道にかえるしるしなりと釈尊の説き給える金言に、
  少しも違わぬさまにて、まことに悲しく覚え候。
  このうえは、行住坐臥、念仏をこととして、
  御化導を、火の中をすぐる心地して、我が心をへりくだりて、
  恭敬尊重の思いより、ひとすじに聴聞申すべし。
  御慈悲にて候間まことの信はえらるる也。

  (香樹院語録)

 さて、「香樹院語録を読む」は今回(161回)で終わります。ネットで語録を紹介していただいた真宗大谷派念佛寺さまのご苦労があって、改めて語録を拝読するご縁がいただけました。ありがとうございます。「歎異抄」は親鸞聖人の生きたお言葉を伝える語録として尊く、「香樹院語録」も同じくらい大切にされてよいのではないかと思います。これほどの書が世に流通していないのはなぜなのか。理由を知りませんが、残念なことです。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


# by zenkyu3 | 2017-09-29 06:01 | 香樹院語録を読む | Comments(6)

信治定の人

  一 信治定の人は、誰によらず、まず、みれば、
  すなわち、とうとくなり候う。
  是、その人のとうときにあらず。
  仏智をえらるるがゆえなれば、
  いよいよ、仏智のありがたきほどを存ずべきことなりと云々

  (蓮如上人御一代記聞書210条)

 わたしは人目につかないように竹内先生を拝んでいたことがあります。竹内先生を竹内先生にしている仏智を拝んでいたのです。陽光のまぶしい春先のころ、ある日の講義の中、あまりのありがたさに思わず先生に手を合わせてしまったことがあり、それを先生に見られてしまいました。先生と目が合ったのでわかります。仏はわたしの前に先生の姿で現れてくださるのだと思っていたのです。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2017-09-28 06:19 | 蓮如上人御一代記聞書を読む | Comments(0)

覚如様御歌

  一 今日ばかり おもうこころを わするなよ 
  さなきはいとど のぞみおおきに 覚如様御歌

  (蓮如上人御一代記聞書68条)

 今日一日を生きるのに必要なものがあれば、それで満足である。あなたもわたしも、どれもみな死ぬ命である。一日長く生き延びたからといって、それがなんだろう。仏法を聞くために生まれて来たのである。仏法を聞いたら、あとはいつ死んでも同じである。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2017-09-27 06:42 | 蓮如上人御一代記聞書を読む | Comments(0)

ききうるひと、まれなり

  一 「御一流の義を、うけたまわりわけたるひとは、あれども、
  ききうるひと、まれなり」といえり。
  信をうる機、まれなり、と、いえるこころなり。

  (蓮如上人御一代記聞書55条)

 死ぬほどのことだってやろうと思えばできる。しかし、信心ばかりは命と引き換えにしても得られない。仏からいただくものだからだ。どうやっていただくか。心が空っぽになる。心が空っぽになれば空っぽになった心に仏さまが入ってきてくださる。心が空っぽになることを「聞く」という。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2017-09-26 20:01 | 蓮如上人御一代記聞書を読む | Comments(0)

  一五九、聴聞したお謂れの覚えられたか覚えられぬかを、
  吟味するには及ばず。

  (香樹院語録)

 この法語には「語を聞かずして意を体せよ 」と題がある。聴聞の秘訣は言葉ではなく言葉が伝えようとしている心を感じることだというのでしょう。信心は「感応道交」といいますから、仏さまのお心とつながるように、仏さまのお心を感じるように聴聞することが大切です。心は形がないから心を感得した人が言葉で心を伝えてきました。いわば、水(心)は器(言葉)に入れて運ばれる。器は水を容れるだけの用ですから、器に気を取られてはいけない。コップを渡されたらコップを眺めていないで、すぐに中の水を飲むことです。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


# by zenkyu3 | 2017-09-23 06:21 | 香樹院語録を読む | Comments(2)