宝は念仏にあり

  四、宝は念仏にあり。
  現世に無量の徳を得て、後に浄土に生るる因となる、
  功徳このうえなき宝は、南無阿弥陀仏なり。
  この念仏を称えられぬ身の上もある。
  然るに、朝から晩まで称えても差しつかえなく、
  笑いそしる者もなし。よくよくの御慈悲なり。深き宿縁なり。
  生死をはなるる時節到来と思えば心安楽。

  (香樹院語録)

 形ある命は縁によって無量無数の雑多の姿である。縁によって成り立っただけの仮の姿に執着してなにか特別な意味があるかに思うが、どんな人生も終わって見ればただの夢、事実は「生老病死」の四文字でしかない。「無上仏ともうすは、かたちもなくまします」(自然法爾章)。形ある命の出処は形なき命の世界、やがて形ある命の還る場所だ。形のない命の世界から「南無阿弥陀仏」の言葉となって、われらを迷い出てきた元の世界、形なき命の世界である涅槃へと再び還してくださるご縁を「念仏」という。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


# by zenkyu3 | 2017-05-12 06:34 | 香樹院語録を読む | Comments(0)

あなたの御目に涙が泛ぶ

  一五、金持ちになろうと思うて働いてすら、
  金持ちになられぬ。まして心がけねば、なほなられぬ。
  難有うなりたいと願うてすら、中々なられぬ。
  まして心がけねば、なられる道理はない。
  故に先づ拝みようにもわけがある。
  つくづくと如来様の御姿を拝み上げて、
  頂上の肉髻より千輻輪相、御耳、御目、御唇、御胸と、
  つくづくと拝むと、あなたの御目に涙が泛ぶ。
  あなたの御胸が八つざきになるように、
  思召すであらうと拝み上ぐれば、ありがとうなる。

  (香樹院語録) 

 お寺に参ってご本尊様を仰ぐ。つくづくと拝むと、わたしを悲しんで、あなたの御目に涙が浮かぶ。その涙はなにか。すぐわかる。こんな生ざまで申し訳ありませんと、頭が下がる。涙が出る。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


# by zenkyu3 | 2017-05-11 06:45 | 香樹院語録を読む | Comments(0)

  二七八、頼め助けようとのたまうは、
  たのまぬ先に助かるように御成就の南無阿弥陀仏。
  爾れば頼んだら助かられようか、
  また助かるまいかの分別のある筈はない。
  たのめば早や助かるの勅命なり。

  二七九、助かりたいと思う我等の心は疎なれども、
  助けたいの大悲の念力に引きよせられて、
  必ず必ず疑いは晴るるほどに。
  危げなく此世を暮し、御称名を励まっしやれ。
 

  (香樹院語録)

 たのめば早や助かるの勅命なり。だが、たのむことができない。なぜか。たのむと"自分"が死ぬからです。無我になる。仏になってしまう。だから、たのめない。それゆえ、仏は頼め助けようとのたまう。仏にしたいからです。助けたいの大悲の念力に引きよせられて、必ず必ず疑いは晴るる。御称名を励まっしやれ。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


# by zenkyu3 | 2017-05-10 07:06 | 香樹院語録を読む | Comments(2)

仏よきになし給う

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  二三七、赤児育てる親の方には分別あれども、
  赤児の方には分別はいらぬ。
  乳房に取りついてさえ居れば、よいようにして下される。

  (香樹院語録)  

 信じるとは疑いがない。疑いがないということは問いがない。「なぜ」がない。よいか悪いかもわからないし、わかろうとも思わない。いま起きていることが仏の御はからいであるから、いま起きていることになにも不満はない。よいことも悪いことも、わたしのためにしてくれている。なにがどうなるかなどわからなくてもかまわない。仏の御はからいにおまかせして、まかせたことも忘れている。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


# by zenkyu3 | 2017-05-09 06:09 | 香樹院語録を読む | Comments(0)