野田明薫の文章

(このブログのこと)

 野田明薫師は竹内先生の恩師です。ただ、「六七歳の頃、膝に抱かれた記憶がある」というくらいで、直接の指導を受けたということではない。その遺文から学ばれたということです。明薫師が遺された文章や手紙は『先師の言葉』として製本化されており、当時、毎月の例会の教材としても使われておりました。


 例会のたびにいただいた資料を保存してありましたので、その一部を旧ブログ「聞其名号信心歓喜乃至一念」に掲載、紹介させていただきました。それをもう一度、このブログで読み直してみようと思います。竹内先生の会座の記憶につながっているからです。なお、先生の最後の著書『称名念仏の大悲』に野田明薫師と竹内先生のことが紹介されていますので、引用しておきます。参考にしてください。

 南無阿弥陀仏


  【参考】野田明薫師のこと

  一九三二(昭和七)年三月二十六日、群馬県桐生市境野町、本然寺住職・野田明薫命終。
  享年五十三歳。法名、願海院釈明薫。

  同師には伯母、岩田カ子(かね)と両親が一九二〇年以来、ご化導いただいた。
  野田先生なしには後年の竹内維茂も樹心会もないと言っても過言ではない。
  先生の遺文を収めたトランクは、一九四四~四五年の東京空襲のたび毎に非常持ち出しをしたという。
  遺文は後年『先師の言葉』全三十冊(樹心会編、一九六八~七二)に収める。

  (弥生書房刊『称名念仏の大悲』169ページ)


by zenkyu3 | 2017-11-20 21:12 | このブログのこと | Comments(0)

ブログ一年の節目に

  一 法敬坊、申され候う。
  「仏法をかたるに、志の人を前におきて語り候えば、
  力がありて、申しよき」由、申され候う。

  (蓮如上人御一代記聞書282条)

 「仏からの道」が満一年となりました。読んでくださっているみなさんの「力がありて」ブログ更新ができております。今年は真宗大谷派・念佛寺さんのホームページを拝見する機会がありました。ホームページ所収の「香樹院語録」を引用させていただきながら、一月から九月まで、計161回「香樹院語録」を読ませていただきました。時期がまいりまして、今は「蓮如上人御一代記聞書」を読んでおります。

 日々、お聖教をいただきながら、気づいたことを書いているだけのブログですが、ここがわたしの「聴聞の場」といってもよいかも知れません。コメントやお便り、あるいは記事ごとのアクセス数などから、みなさんにどのように読んでいただいているかを考えるのも楽しいことです。旧ブログ「聞其名号信心歓喜乃至一念」は今もこのブログと同じくらいのアクセス数がありますので、そのままにしております。全休

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-11-15 22:02 | このブログのこと | Comments(0)

香樹院語録を読む

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 香樹院語録を読むシリーズは六十回を越えました。あいにくと『香樹院語録』は古書として入手しがたいようですので、このシリーズでは、最初から真宗大谷派・念佛寺さんのホームページから本文を引用させていただいております。ありがとうございます。香樹院語録との最初の出会いは竹内先生からいただいた『香樹院講師語録』(加藤智学編)でした。当時は語録より経典を読みたい気持ちが勝っていましたから、せっかくの書も一通り読んで終わりでした。

 今回もそんなに続くとは思っていませんでしたが、読むほどに面白い。ある意味、歎異抄より奥行きが広く、信心とはなにかが分かりやすく語られ、苦労して聴聞しておられた人たちの姿が尊くありがたく偲ばれます。親鸞によって切り開かれた他力の念仏が六百年の時を蓄積して日本人の血肉となったように感じます。歎異抄は親鸞の肉声を伝えていますが全体として教義に傾き、香樹院語録は聴聞する庶民の顔が見えます。法語、法談、問答、逸話は三百、いましばらく拝読いたします。全休


 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-05-13 06:42 | このブログのこと | Comments(0)

樹心会々員へのお便り

  仏は、この私をどう見ておられるのか・・・・。
  親の目、教師の目、ライバルの目、叱責の目、愛情の目、軽蔑の目。
  様々の視線に出合って人生を生きてきた。
  数多くの視線の先に、様々な顔をした私がいた。
  愚図であったり、変わり者であったり、健全な常識人であったり、と。
  けれど、どの眼の中にも本当の私はいなかった。
  本当の私を見失ったまま、生涯の大半を過ごした。
  そして生きる意味もわからず、力で世間を生き抜こうと意を固めた矢先に、
  仕事に大きく挫折した。そんな時に、仏法に出会った。
  聴聞するうちに、私を見つめる"ある視線"に気づいた。

  その視線が心を離れなくなった。
  その眼は、いままで出会ったどの眼よりも厳しいように思えた。
  ただ、本当の私の姿を見てくれているような親しみも感じ、やがて信頼感も生まれた。
  その眼は、心のこごえた我が子を悲しむ母親のような眼でもあったように思う。
  苦しむのはもうやめなさい。つくろうことはもうやめ、
  一切を許し、任せることをしなさい、と。
  しかし、私は、任せることに異常な不安を感じ、それは、ほとんど不可能に思えた。
  いや、なにより、その眼は私の心の中の"つくりもの"にすぎないのではないか、
  という疑心が離れなかった。確信がなかった。

  だが、ある日突然、阿弥陀仏が私の姿を発見した。
  その視線の先に、ハッキリと私の姿が存在した。
  間違いのない本当の私と、阿弥陀仏に出遭う。
  初めて、私の思いを超えた真実に出遭う。

   1992.01.23


 崇信教会から毎月会員に出していた案内状に短い文章を書いていたことがあります。全部で三十九通書きましたが、これはその中の一通です。先生はわたしの書いたものに意見もされずそのままを使っていましたが、この文章が気に入られたようで、しばらく、お会座のたびに持参しておられました。かといって、この手紙のことを話す訳でもないのです。ご本尊の前、春に向かう二月、陽光をあびる本堂で情熱を込めてお話される先生の姿があります。

 文中にある「だが、ある日突然、阿弥陀仏が私の姿を発見した。その視線の先に、ハッキリと私の姿が存在した」というのが、わたしの信体験のありのままで、この体験からわたしの仏道が始まったのです。以来、わたしの聴聞はこの体験の下を掘っている。平成九年四月、七十二歳で先生が亡くなってからは他の先生のお話を聞く気にもならなかった。

 こうしてネット上で文章を書きながら、読者からいただいたお便りに示唆をいだきながら、ご信心からいつも新しいテーマをいただいて飽きるということがありません。わたしにとって、こうして文章を書くことが、行であり、憶念であり、お育てなのです。平成元年十月、初めて先生をお訪ねした時、先生は六十四歳、生き別れした父親と同い年でした。年を重ねる毎に竹内先生にお遇いできたことが嬉しく、なにより尊く思われます。今日十三日は先生の誕生日です。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-01-13 06:16 | このブログのこと | Comments(2)

竹内先生の思い出

  はじめまして、****と申します。
  現在、定年退職して、九州の***に在る「**寺」というお寺で、
  寺男の一人として生活している者です。
  ことの始まりは、貴殿のウエブサイト「ZENKYU」を拝見したことに始まります。

  この国の基をつくられた聖徳太子の言葉「世間虚仮 唯仏是真」について勉強している時に、
  貴殿のサイトに出会いました。

  その中で、貴殿が師と仰がれている方が、
  竹内維茂先生、浄土真宗 崇信教会 東松山市とあったからです。
  実は、私は五十四年前、崇信教会に高等学校、大学を通して学生7人で数年間お世話になり、
  竹内維茂先生からはいろいろ教えを頂きました。
  思い出深い学生生活でした。

   (中略)

  貴殿のことは、竹内定ご住職の話で、
  二十年以上前、*****出版社勤務されている時に、
  編集の仕事に悩んで、突然、崇信教会に来られたと聞きました。
  その貴殿が、一人でも多くの方がお念佛を申されるようにとの願いを以って、
  一角を照らす者として、御活動されていることに、大変、共鳴いたしました。
  大変ありがとうございました。

   **** 合掌

   平成二十六年八月十七日


 人が悩むというのは“問い”をもつことだろうと思う。どのような問いか。それは「わたしはなぜ生まれてきたのか」という根本的な問いです。このような問いは生きるための技術しか知らない世間の人にはとうてい答えられない問いで、仏法だけが答えられるものです。

 このような問いをもった者に対して真摯に向き合える人は世間に多くはいない。自ら問いをもったことのない者は言うに及ばず、問いをもっていても自らがまだ闇の中にいては他に光明を示すことができないからです。同じ問いをもった者として真摯な態度で向き合ってくれた人、それが竹内先生でした。ただ一人の人です。

 南無阿弥陀仏

  
  仏教ブログ〈聞其名号信心歓喜乃至一念〉
  2014年10月1日付けの記事「竹内維茂先生のこと」よりの再録です。
  竹内先生を知っている方からお便りをいただいのはこの方だけです。
  大切なお便りですので、ここに再録しました。


by zenkyu3 | 2016-12-27 20:17 | このブログのこと | Comments(0)

仏の心に出会うまで

  弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、
  往生をばとぐるなりと信じて
  念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、
  すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。

  (歎異抄・第一章)


 ある時、竹内先生に失礼をも顧みず、こんなことをお聞きました。「先生の宗教体験とはどんなものだったですか」と。一瞬、びっくりしたような表情をされましたが、すぐに「仏に背中から抱かれたような感じを経験した」という答えが返ってきました。「あたりにいい香りもした」とも言いました。竹内先生がご会座で自らの宗教体験を語ることはなかったと思いますが、そもそも、このようなことは人にも聞かれないし、聞かれないから人にも話さないということなのでしょう。

 しかし、当時のわたしは、自分が経験したことがなんだったのか、誰かに説明してほしいと思い続けていました。わたし自身の宗教体験については「仏の心と出会う」という文章にまとめたことがあります。興味のある方は読んでください。


  仏教ブログ〈聞其名号信心歓喜乃至一念〉
  仏の心に出会うまで

 この体験から“仏前”でのわたしの聞法が始まりました。いつも、この宗教体験に立ち返り、信心を確かめながら、仏典も読み、文章も書いています。さて、歎異抄の第一章は親鸞の言葉ですが、真宗では宗教体験の事実を「摂取不捨」と教えています。仏のお心の中に生まれて、仏の方から自分の心が見えるようになります。この「摂取不捨」の体験を得させたくて善知識はご苦労されるのです。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2016-11-19 19:37 | このブログのこと | Comments(2)

  仏教ブログ〈聞其名号信心歓喜乃至一念〉
  2010年9月24日付けの記事「濁川改め全休です」よりの再録です

 濁川(だくせん)という名前で、2004年4月に《濁川の仏教&人生論ノート》というサイトを始め、日記のように原稿を書いていました。その間、読者も多く出来て、読者のメールを読むのが楽しみのひとつとなっていたものです。六年続いたサイトでしたが先月でやめて、9月8日からこの仏教ブログを始めたという次第です。名前も濁川(だくせん)から全休(ぜんきゅう)に改めました。なぜかと理由を聞かれますが、過去に書いたものに縛られる不自由さを感じてきていたからです。仏典があるので、わたしの書いたものなどクズに変わりませんので、すべて捨てました。

 二十代から仏教を学んできましたが、若い頃は、生きる理由がまったくわからなかった。訳もわからず家族をもってしまったが、きっと金儲けと子育てだけの人生には耐えられなかっただろうと思う。それでも苦闘の末、ようやく三十六で宗教体験を得て、ますます仏教一本になって、五十になった頃、ようやくなにかが書けると思って《濁川の仏教&人生論ノート》を始めたということです。一休道歌に「本来の面目坊が立ち姿 一目見しより恋とこそなれ」とありますが、まさにそんな感じです。

  (往生礼讃)また云わく、
  仏世はなはだ値い難し、人信慧あること難し。
  たまたま希有の法を聞くこと、これまた最も難しとす。
  自ら信じ人を教えて信ぜしむ、難きが中に転た更難し。
  大悲、弘く普く化する、真に仏恩を報ずるに成る、と。

  (教行信証・信巻)

 親鸞の著書『教行信証』に引用された善導の文章です。仏の教えの残っている時代に生まれあわせたことは、とても幸運なことですが、ひるがえってこの世を見るに、信心の智慧を感得した人は実に稀で、求めても、智慧の人に会うことなど、まず出来ない。このようだから、この世で唯一の真実である仏法を聞こうなどという人もまずいない。しかし、たまたま信心の智慧を得るという幸甚にあったのだから、困難を乗り越えて、智慧を伝えていこうと思う。それが仏さまのご恩に報いることになろうから。・・・そんな感じです。

 この仏教ブログを始めた理由は、信心を得る人を出すためです。濁川(だくせん)の頃も、わたしの文章を読んで僧籍に入った人がおられましたし、智慧を得たのだなと思える人も二人ほどおられました。それこそ試行錯誤、苦悶の修行をしておられる人はたくさんおられます。生活しながら法を聞くというのは大変なことですが、よほど人生に大きな疑問を抱く契機がなければ法を聞き続けるというのも難しいものです。

 仏教は世渡りの方便でもなければ、地獄に落ちないための保険でもない。心のケアをするためのものですらない。むしろ、精神的な病を抱えたまま修行するのはとても危険です。仏教に出会う縁はさまざまですが、仏法とは、仏法を学ぶために仏法を学ぶのであり、仏法はなにかの手段、方法にはなりえないものだと知ってほしい。むしろ、仏法を学ぶためにこそ生まれてきたと考え、仏法を学ぶために生活し、悟りを得るという本懐を遂げてほしい。生を受けた喜びの中に生きていけるでしょう。

 さて、今回は、濁川から全休に変わった経緯を報告させていただきました。濁川の頃からの読者のみなさん、これからもお便りください。このブログで全休を知った方、真剣に仏教を学びたいと考えている方からのメールを楽しみにしています。これからもみなさんにご示唆をいただきながら聞法の生活を続けてまいります。 

 濁川改め全休

 南無阿弥陀仏 

 仏教ブログ〈聞其名号信心歓喜乃至一念〉

 2010年9月24日「濁川改め全休です」


by zenkyu3 | 2016-11-15 09:27 | このブログのこと | Comments(2)

仏からの道

e0361146_08513593.jpg  如来大悲の恩徳は
  身を粉にしても報ずべし
  師主知識の恩徳も
  骨をくだきても謝すべし

  (正像末和讃)


 「仏からの道」は亡き師、竹内維茂先生の著書のタイトル名です。真宗大谷派崇信教会の主管であった先生に出会って真宗に帰しました。平成元年、三十六歳になったばかりの十月のことです。以来、ずっと親鸞を学んでいます。六年ほど前から「聞其名号信心歓喜乃至一念」というブログを書いてきましたが、このところ、どうしても一区切り感がついてきていました。

 違ったトーン、新しいアプローチでブログを続けようと思いながら今日になったということです。ネット上で文章を書き出したのはさらに前で、五十の頃、「濁川」(だくせん)という名で書いていた仏教サイト以来の旧知の読者もおられます。ここでの新しい出会いを楽しみにしています。竹内維茂先生の法恩に報いるために「仏からの道」というタイトルにしました。

 南無阿弥陀仏

 仏教ブログ〈聞其名号信心歓喜乃至一念〉
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by zenkyu3 | 2016-11-15 08:05 | このブログのこと | Comments(0)