2017年 08月 24日 ( 1 )

禅僧弘海との問答(1)

  七五、予(禅僧弘海)問て云わく、
  よく聞くとは如何聞くべきや。
  師曰く。骨折って聞くべし。
  予云わく、骨折るとは、遠路を厭はず聞き歩くことに候や、
  衣食も思わず聞くことに候や。
  師曰く、然り。
  予また問うて云わく、
  然らば、夫程に苦行せねば聞こえぬならば、
  今迄の禅家の求法と何の別ありや。
  師呵して曰く、汝法を求むる志なし、
  いかに易行の法なりとも、よく思え、
  今度仏果をうる一大事なり。
  然るに切に求法の志なき者は、
  是れを聞き得ることを得んや、
  ああうつけもの哉と。
  予云わく、然らば身命を顧みぬ志にて、聞くことなりや。
  師曰く、最も然り。切に求むる志なくして、
  何ぞ大事を聞き得んや。(以上、一部抜粋)

  (香樹院語録)

 疑いとは人の心の本性である。なにも信じてない。人も自分も信じてない。信じるものがないとは惨めなものである。愛とか正義とか未来とか、なにかを信じた振りをして一生を通すことはできるが、本当はなにも信じてない。信じない心は金と物を信仰する。物のように生きた者は死ねば物に帰るだけだ。この世に信じうるものがあるかどうか、心があるなら勇気を奮って自分の眼で確かめてみよ。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」 


by zenkyu3 | 2017-08-24 06:03 | 香樹院語録を読む | Comments(0)