2017年 08月 22日 ( 1 )

力なくして終わる時

  久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、
  いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと、
  まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ。
  なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、
  ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。

  (歎異抄・第9章)

 二十代で初めて「歎異抄」を読んだとき、ここに引っ掛かった。死ぬのが恐くて仏教か、と。しかし「歎異抄」を読むのをやめようとは思わなかった。これが縁というものだろうか。いまはこの一節が「歎異抄」の中でもとくに「いいなぁ」と思う。さて、仏の悟りを「無分別智」という。分別とは事実を評価する。無分別智は事実を評価しないで、ありのままに受け入れる悟りです。われらには都合のよい事実と都合の悪い事実があるけれど、「生老病死」の「老」も「病」も嫌だが「死」はまったく受け入れ難い。受け入れ難い「死」を親鸞は「なごりおしくおもえども」と気負いなく受け入れている。生死を離れた親鸞の心境を表しています。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-08-22 06:22 | 歎異抄の読み方 | Comments(0)