2017年 08月 15日 ( 1 )

南無というは帰命なり

  一 仰せに、「南無というは帰命なり。
  帰命というは、弥陀を一念たのみまいらするこころなり。
  また、発願回向というは、たのむ機に、
  やがて大善・大功徳をあたえたまうなり。
  その体すなわち南無阿弥陀仏なり」と、仰せ候いき。

  (蓮如上人御一代記聞書2条)

 南無「自分の心」だった心が南無「阿弥陀仏」へと回心する。自分の心と一体だった心が仏にすがって一瞬、自分の心を離れる不思議体験を得る。これが「弥陀を一念たのみまいらする」という宗教的な決断の内容です。また、信の一念に「たのむ機に、やがて大善・大功徳をあたえたまうなり」。宗教的体験によって得られる「功徳」はどのようなものかというと「自分の心」から離れられた自由です。苦しみは自分の心への執着から出てきた。信の一念に、苦しみの原因である「自分の心」をまるごと離れて、自分の心から救われる。この功徳の味わいが一生を貫く。決して忘れないだけでなく、どこまでも深まっていく。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-08-15 06:00 | 蓮如上人御一代記聞書を読む | Comments(4)