2017年 07月 17日 ( 1 )

赤尾の道宗

  一四四、長崎の同行、
  はるばると越後まで来りて、御前え参りたる時、
  その顔に、六七十日もかかり、万里の遠路を凌ぎ来て、
  法を求むる道心者なりとの色見えたり。
  則ち師の仰せに曰く。
  赤尾の道宗は、唐天竺まで行きても、
  如何にしても法を求めんと云う志じゃったに、
  今やすやすと居ながら聞かるるとは、
  只事ではないと喜ばっしゃれ。

  (香樹院語録) 
 

 生まれれば死ぬ。始めから分かっていることだが、いざ死ぬとなると「初めて聞いた」みたいな顔をする。死に方は選べず、そもそも、どんな死も死は死、死の事実があるだけだ。一つの命からすれば死はすべての終わりだが、全体の命からすれば大河の一滴、死んだということすらない。そんな命がワイワイと無意味に騒いだ挙げ句、最後は、死んでいく先もわからず「死にたくない死にたくない」と死んでいく。死ぬまではみな死なないと思っているのである。真っ暗闇に頭を下にして堕ちていくだけなら、なんのための人生だったか。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」 


by zenkyu3 | 2017-07-17 05:08 | 香樹院語録を読む | Comments(0)