2017年 06月 28日 ( 1 )

悪性やみ難し

  二四、或る人、
  諸国渡りの同行を泊めて、夜酒を勧めたるに、
  伴の同行いと見苦しく乱酔す。
  主人之を見て、私の心の様を見せて下されたと喜ぶ。
  翌朝その同行前夜のことを侘びたれば、
  主人また、私への意見也と喜びぬ。
  然るにその夜もまた酒に乱れたれば、
  主人大に腹立して夜の明けるを待ちて放逐せり。
  後に至り主人つらつら我が先になせしことの淺ましかりしを悔いて、
  師に逐一申し上げたれば、
  稽古したことや、真似したことは、
  なかなか続かぬものじゃ との仰せなりき。
  まことに悪性は凡夫の自性なれば、
  止めようとて止められぬもの也。
  仏このものを助け給う也。

  (香樹院語録)

 この主人、一度は「私の心の様を見せて下された」となったが、二度目は許せなかった。人の心に期待があるから無作法が許せない。われらは無量劫以来の悪業の蓄積(宿業)でできた身を持って生まれてきたのである。悪業で染め上がった身(と心)が五十年や百年の「稽古したことや、真似したこと」(自力の修行)できれいになるはずがない。

 出来もしないことを出来ると思うのは自分の心にたっぷりと期待があるからだ。自分の心を喜ばせるための人生だから自分の心に価値がないとなれば生きてる意味がわからなくなる。だから「まことに悪性は凡夫の自性なれば」なんて、そんなひどい心だとは認めたくない。よく考えても見よ、心の問題は心から出てくる。心に苦しめられているのではないか。


 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-06-28 06:37 | 香樹院語録を読む | Comments(0)