2017年 06月 09日 ( 1 )

珍らしきことに非ず

  一一一、或る人、御面倒さまながら、
  御一言御聞かせ下されと申し上げたる時、仰せられ候。
  仏になるほどの事、一口や二口で聞かせられようか、
  自力の修行なさるる御方は、無量永劫御修行なされても、
  證られぬ證られぬと御嘆きなされるに、
  今五日や七日聴聞して、仏になろうと云うは、
  横着な心ゆえ信が得られぬのじゃ。
  なんでも、命がけで聞けば聞こえる。
  別なことを聞くのでない。
  同じことを聞き聞きすると、聞こえて下さるるのじゃ。
  ちやうど、染物にするに、
  藍壺のなかへ幾度も幾度もよく染めた所で上紺になる。
  よく染め揚げたが信心じゃ。

  (香樹院語録)  

 聞いて分かろうというのが分別である。頭のいい人は悟りにはなにかコツがあると思う。いま見えているものをただ見るのにコツなどあるだろうか。一才の子でもわかる事実が大人にわからないのは事実を分別するからである。事実を解釈したり、意味づけたりしない。そうすればまっさらな事実になる。わかろうとするからわからなくなる。わかろうとする努力を捨てたら、このままの救いだとわかる。この法語には「珍らしきことに非ず」と題があるが、まこと、仏法にはなにもコツなどない。ただ「命がけ」で事実を事実と受け入れるのである。受け入れない執着がわかる。それが「聞く」である。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-06-09 06:29 | 香樹院語録を読む | Comments(0)