2017年 06月 04日 ( 1 )

極楽は近うなったか

  九五、仰られ候。極楽は近うなったか。
  今日か明日かと云うようになったか。
  何はまちがうても、
  御浄土参りばかりは、間違うてはならぬ。
  おれは、こうして居るが後生三昧。
  後生三昧で居るけれども、
  此世の事を未来の事と比べて見ると、
  此世が重くなり未来がかるくなって、どうもならぬ。
  いわんや、在家のものは骨折りて聴聞せよ、
  よいかげんの処へいかぬ、と仰せあり。

  (香樹院語録)

 わたしが生まれたと思うからわたしが死ぬのである。身から離れた心を大切に思うから心に苦しめられるのである。ないものをあると主張して、ないもののために生きるは穢れである。ないものはわたしである。そんな穢れを浄化するのが涅槃である。諸行は無常で涅槃である。諸法も無我で涅槃である。涅槃は寂静で、永遠の静けさである。われらにとってわかりやすい涅槃は死である。生の帰するところの死は静寂であり、安息であり、美である。すなわち極楽浄土である。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-06-04 06:34 | 香樹院語録を読む | Comments(0)