2017年 05月 19日 ( 1 )

いやでも引きよせられる

  二七九、助かりたいと思う我等の心は疎なれども、
  助けたいの大悲の念力に引きよせられて、
  必ず必ず疑いは晴るるほどに。
  危げなく此世を暮し、御称名を励まっしやれ。

  (香樹院語録)  

 いま起きている"ありのまま"の事実を"如来"という。自分に不都合だからといって心が事実を受け入れられない。それを"疑い"という。事実を拒否することは如来を拒否する。だから苦しむ。どんな事実も誰かに都合よく、誰かに都合が悪い。事実はただ事実で"如"であるが心が"如"になれない。しかし、いま、ここで起きていることだけが"如来"であるから"あるがまま"になれと「大悲の念力に引きよせられて」、いつか事実を心に受け入れることができる。"あるがまま"を受け入れることを「疑いは晴るる」という。心の不都合を捨てて"無我"になることを"南無"といい、事実を事実と受け入れることでわれらは救われる。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-05-19 06:21 | 香樹院語録を読む | Comments(0)