2017年 05月 14日 ( 1 )

  三二、地獄え今堕ちると云う心にならねば、
  聞こえませぬか、と或る人お尋ね申せしとき、仰せに。
  いや。そこは、仏智他力の御はからい、
  こちらは唯御念力をきくばかりじゃ。

  (香樹院語録)

 「機なげき」という言葉がある。自分の欠点を責めて自分に絶望することが「機の深信」だと誤解して自分を責めることです。信心の智慧なくして、いくら自分を責め反省しても「卑下慢」にしかならない。信心とは自分が見えることだからです。「機の深信」とは仏に自分の心を見ていただくことです。

 自分の心が見えたことは仏が見えるようにしてくれたとわかる。これが「法の深信」です。このことがあるから「機法一体」といいます。自分の心が見えるので「懺悔」の心が起きますが「懺悔」は自分への絶望でなく、仏への感謝です。ようやく自分がわかった。それは仏がわかるようにしてくれた。仏への感謝と喜びが南無阿弥陀仏という言葉になるのです。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-05-14 06:55 | 香樹院語録を読む | Comments(0)