2017年 05月 04日 ( 1 )

極楽参り

  九一、或時の仰せに。
  きき分け知り分けた位で、極楽参りが出来るのなら、坊主は皆な御浄土に参られる。
  きき分け知り分けた位で、浄土へ参ろうと思うは、ひがごとじゃ、
  如来様の仰せばかりが、真実じゃぞよ。

  (香樹院語録)

 幸せな時に見る世界と絶望の時に見る世界とは同じ世界ではない。心は心の状態に応じていろんな世界を見る。いろんな世界を見るのであるが、心は自分が造った世界に住んでいながら、あたかも心の外にそんな世界があると信じている。心にだまされている。さて、極楽浄土という世界はない。心が造った心の世界にあなたは住んでいるのだよと教えるための、それは方便である。

 仏のお心は色も形もないのだから極楽浄土も形がない。如虚空である。人の心は形があればその形にまた捕らわれるから、形がないことが救いである。六道はもとより幻のようなものであるが、身があり、心がある限り、心が見せる幻の世界に住まなくてはならない。身を捨て心を捨てれば形ある世界が終わる。だから極楽参りという。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-05-04 05:13 | 香樹院語録を読む | Comments(0)