2017年 04月 26日 ( 1 )

善悪のふたつ存知せず

  聖人のおおせには、「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。
  そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、
  よきをしりたるにてもあらめ、
  如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、
  あしさをしりたるにてもあらめど、
  煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、
  よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、
  ただ念仏のみぞまことにておわします」とこそおおせはそうらいしか。

  (歎異抄・後序)

 親鸞は「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」と言った。どういうことかといえば、なにもわかりません。なにが善でなにが悪かなど、仏でもない自分にわかるはずもありませんと、そう言った。わかろうとすることが終わった。念仏一つが残った。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-04-26 09:09 | 歎異抄を読む | Comments(0)