2017年 04月 14日 ( 1 )

我が料簡を捨てる

  二二五、江州草津合羽屋に対せられての仰せに。  
  往生を願うについて、二の関所がある。
  一には世を捨てて願い、二には疑網をすてて願わねばならぬ。
  この二を捨てねば極楽まいりは出来ぬ。
  初めの世をすてて願うと云うは、
  望みさえあれば随分世をすてて願うと云う人がある。
  しかし後の疑網の関所には、番人がいる故我が料簡ではゆかれぬで、
  我が力すてて唯仏智のおはからいで往生させていただくのじゃ。

  (香樹院語録)

 我が料簡を捨てる。無我ともいって、これが仏教の眼目でしょう。我が料簡で生きていけると思ったのに我が料簡では立ち行かなくなった。そこで我が料簡を建て直したくて仏教を学ぼうと思い立ったのでしょう。しかし、いくら学んでも仏教がわからない。やがて飽きてしまう。我が料簡を建て直したところで、いずれまた行き詰まる人生ではありませんか。仏教は我が料簡を捨てなさいというのだから、我が料簡を立て直そうとして聞いても、そもそも向いている方向が西と東ほど違う。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-04-14 22:30 | 聴聞の実際 | Comments(0)