2017年 04月 08日 ( 1 )

  十四、大事な後生と知りながら大事にならぬは、
  この世の愛欲貪欲の手強さゆえと、聞けども聞けども地獄も恐しからず、
  極楽もとうとまれぬは、邪見の強き故なり。
  よくよく聞けば、疑いの晴れねばならぬ浄土往生に、
  疑いのはれかぬるは、自力執心の迷いの心が手強き故のことなり。
  是れが離れねば往生すべき身とはなられぬ。
  然れども、己が心にて、是れを離るることがならぬ故に、
  御成就の他力回向の大信心なり。

  (香樹院語録)

 本願の救いは「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」ことです。心から出てくる思いを「煩悩」といいます。心になにか価値があるように思うことを「自力執心」といい、心から出てくる思いを「自分」だと思うから、思いを実現しようと努力する。思い通りになったら幸せで、思い通りにならなかったら不幸と、いたって単純です。心を「なくせ」と仏教は言わない。心を「離れろ」というのです。心に使われるな、心の主人になれと言うのです。

 心を離れて心を見る。心がつくる世界を出て、仏のさとりの境地(涅槃)に入る。このことを「不断煩悩得涅槃」とも「往生」ともいいます。煩悩の身のまま涅槃の境地に生まれさせようというのが「弥陀の本願」です。ちなみに、この法語には「離れられぬを離して下さる 」とタイトルされています。心を離れると心が見える。心が見えることを「光明」といいますが、自分の力で自分の心を離れることはできない。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-04-08 23:15 | 香樹院語録を読む | Comments(0)