2017年 03月 05日 ( 1 )

信心のご利益

  無碍光の利益より
  威徳広大の信をえて
  かならず煩悩のこおりとけ
  すなわち菩提のみずとなる

  (高僧和讃)

  たとい我、仏を得んに、
  十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、
  我が光明を蒙りてその身に触れん者、
  身心柔軟にして、人天に超過せん。
  もし爾らずんば、正覚を取らじ。

  (三十三願・触光柔軟の願)

  身体があるから煩悩がある。
  煩悩具足であるが、その煩悩が起って来る傍から解ける。
  一方に起し一方に解ける。それが信心の御利益というもの。
  智慧の眼が開いて来ると頑なな煩悩を起こす身体の方も自ずと柔軟になる。
  心が柔軟になれば身体も柔軟になる。身体が柔軟になれば身体が健康になる。
  正定聚で何時死んでも極楽往生間違いない、
  そう思っているそんなつまらぬ正定聚は何でもないものだ。
  煩悩が解ける、そういう所に正定聚がある。

  (津曲淳三著「親鸞の大地・曽我量深随聞日録」より)

 信の一念に智慧をたまわる。智慧とは心が見える。見えるとは離れることだから、離れて心の影響を受けない。心を相手にしないでいられる。相手にしないから煩悩は静かになって、生じてもすぐに消える。このことを量深師は「起って来る傍から解ける」と言っている。解けるとは消えてなくなる。煩悩に実体はないから相手にしないと消えてなくなる。和讃には「かならず煩悩のこおりとけ、すなわち菩提のみずとなる」と、智慧の働きが讃えられている。このようにして煩悩が浄化され、心が明るくなっていく。仏へと育てられていく信心のご利益です。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-03-05 06:00 | 曽我量深師の言葉 | Comments(0)