2017年 02月 27日 ( 1 )

何事は覚えずとも

  三一、何事は覚えずとも、かかるものを御助けの御慈悲、
  命終らば仏になることの嬉しやと云う味わい丈は、是非に覚えねばならぬ。

  (香樹院語録)

 「後生」とは死後の命ではない。死後という時間も場所もない。不思議なことに「今生」(わたし=闇)が見えたから「後生」(仏=光)である。今生を超えて今生を照らす悟りの光を「後生」という。今生ではないから後生という。わたしがあってわたしの死後があるという外道の話ではない。今に無我(仏)にならないから「命終らば」である。「かかるもの」と見えるのが「御助け」である。たまたまの命が永遠の命に出遇ったのである。「命終らば仏になる」現在を「嬉しや」と生かしていただくだけである。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-02-27 07:17 | 念仏のすすめ | Comments(0)