念仏には無義をもって義とす(1)

  一 「念仏には無義をもって義とす。
  不可称不可説不可思議のゆえに」とおおせそうらいき。

  (歎異抄・第10章)

 試みに現代語訳すると「はからいがないことを南無阿弥陀仏という。ただ信ずるだけである。不可思議の仏智であるから、と親鸞聖人は仰せになった」と。理由があって信ずる限り、それはまだ信仰の領域ではない。理由が崩れれば信仰も崩れる。本当の信仰は理由がない。それを「不可称不可説不可思議のゆえに」という。


「はからい」とはあれこれ考える頭である。われらは「はからい」を離れられずに悩み苦しんでいる。だから「無義」が救いになる。「はからいがない」ことを涅槃という。南無阿弥陀仏とは仏のお名前であり、仏とは涅槃、すなわち救いである。よって、南無阿弥陀仏とはわたしが救われた姿である。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-12-11 06:21 | 歎異抄を読む | Comments(0)